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40歳過ぎてフットサル挑戦の内幕「カズさんから『大輔ならできる』と言われてその気に」【松井大輔が激白】#16

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月11日 9時26分

40歳過ぎてフットサル挑戦の内幕「カズさんから『大輔ならできる』と言われてその気に」【松井大輔が激白】#16

フットサルデビュー戦の松井大輔(C)Norio ROKUKAWA / office La Strada

【流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白】#16

 新型コロナの影響で1年延期された東京五輪が無観客で開催された2021年夏、大きな決断を下した。5カ国目となる海外挑戦先のベトナム(1部サイゴンFC)を離れ、帰国の途に就いたのだ。が、新たなキャリアとして選んだのは、馴染みのあるJリーグではなかった。フットサルという未知なる領域に足を踏み入れたのである。 (取材・構成=元川悦子)

 2020年12月にベトナム最大の都市ホーチミンに渡り、過酷な隔離生活を余儀なくされた。「ここで引退する」という覚悟を持って長期中断した国内リーグ再開を待ち続けたが、Jリーグ移籍期限の8月15日が迫った。

「その時点でリーグ再開が翌年2月になると聞いて『日本に戻ろう』と腹をくくりました。でもJに戻っても、3カ月間まともに練習していないのでフィジカルを戻すのに1カ月以上かかる。そうなるともうシーズン終盤です。オファーをくれたチームは『終盤戦のテコ入れのために力を発揮してほしい』と言ってくれましたが、その時の自分には難しいと思いました」

 そこで目を向けたのがフットサルだった。

 その当時、Fリーグは21年W杯の開催に合わせて7~10月は中断期間だった。

 帰国してから体をつくり直す時間もある。尊敬する(三浦)カズも11年にFリーグに参戦。翌12年W杯に日本代表として出場した経験があったことも背中を強く押した。

「『すごく難しいけど、大輔ならできる』とカズさんに言われてその気になりました。40歳過ぎた自分が、人と同じことをやってもしょうがないという気持ちも強かった。自分の進む道を探している中で『これは面白い!』と直感的に判断。(J3に参戦している)YSCC横浜のフットサルに入ることに決めました」

■「自分にしかできない生き方を」

 5カ国9クラブを渡り歩いた異端児は「オリジナルの生き方」を追求し続けてきた。辺境フットボーラーを志向したのも「自分にしかできない生き方をしたい」という強い意思の表れだった。

 フットサル参入を「テクニシャンの松井なら十分あり得る」と前向きに捉える人が多かったことも士気を高めた。

「40歳のおっさんが体を鍛え直すのは苦労の連続でした。10月8日のFリーグデビューの湘南戦までの2週間、早朝6~8時の練習時間に体育館でフットサルの練習。そして午前9~11時はYSCC横浜のサッカーの練習に参加です。掛け持ち生活をこなして体がバキバキでした」と苦笑する。

 フットサルの初陣はトータル3分程度のプレー時間だったが、のちのブラジル代表のトップ選手に1対1の勝負を仕掛けるなど観衆を魅了した。

 同年末までフットサルに全力投球。足裏を使った技術を習得するなど新たな世界に積極的に挑んでいった。出場は3試合にとどまったが、この時の経験が、引退後に指導する機会が増えた今、大いに役立っているという。

 全ての物事にムダはない--。

 そのことを痛感しているところだ。
(松井大輔)

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