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ロックギタリスト山本恭司さんの“もう一つの顔”…高校の同級生・佐野史郎と「小泉八雲朗読会」でジョイント

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月15日 9時26分

 でも、2人には明確に「なりたいもの」がありました。ボクは公務員の父に猛烈に反対されながら「音楽系の専門学校に行って必ずプロのギタリストになる」という夢があった。医者の息子だった佐野には「美学校に通いながら俳優になる」というはっきりとした目的意識がありました。

 卒業が近づき、階段の踊り場で「俺はギタリストになる!」「俺は俳優になる!」と2人して青春ドラマみたいに言い合ったものです。

 たとえば東京の大学に進学し、軽音楽部に入ってギターの腕を磨くというのが一般的かも知れません。でも、ボクは「ギターを弾けば弾くほど褒められる環境」に身を置きたくて、大学という選択肢はありませんでした。

 島根県庁の職員だった父には反抗ばかり。よくケンカもしました。でも感謝もしています。志望先のネム音楽院(設立時の名称=83年にヤマハ音楽院と改称)のあった三重県まで行って、校長から丁寧に話を聞いてくれたこともありました。最終的には、父が「ちゃんとした学校というのは分かった」と許してくれました。「コイツは家出でもしかねない」と恐れたかも知れませんが。

 父は95歳まで長生きしてくれました。ネム音楽院に行きたいと言い始めた頃に「オマエはギターの世界で日本一になる自信はあるのか?」と聞かれて「絶対にある!」と答えました。

 BOWWOWでプロデビューして3年目くらいに音楽雑誌「ミュージック・ライフ」のギタリスト人気投票で1位になって落とし前を付けたというか、どうにか約束を果たせました。それからもずっと応援してくれました。親孝行ができて良かったと思っています。

■話を聞いた瞬間に「2人でやれば興味深いものになる」と確信

 佐野も舞台に立つようになり、所属していた劇団「シェイクスピア・シアター」の芝居を渋谷のライブハウス「ジァン・ジァン」に見に行ったり、BOWWOWのライブを日本青年館や新宿の厚生年金会館に聴きに来てくれたり。

 それにしても「冬彦さんブーム」にはびっくり仰天しましたね。

 92年に放送されたテレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」でマザコン男の冬彦さんを演じて大ブレーク。ちょうどロンドンに滞在中だったのでブームを知らず、帰国したら日本中で冬彦さん=佐野史郎を知らない人はいないくらいの有名人になっていました。

 佐野との付き合いは切れ目なく続き、06年に転機を迎えました。松江ゆかりの小泉八雲(日本研究家。本名ラフカディオ・ハーン)の「(怪談話など)朗読会をやるから一緒にやろうじゃないか」と誘われたのです。

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