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液晶パネルが不振のシャープ、呉柏勲前社長は当初“続投宣言”だったが突如の解任劇(真保紀一郎)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月24日 9時26分

液晶パネルが不振のシャープ、呉柏勲前社長は当初“続投宣言”だったが突如の解任劇(真保紀一郎)

社長を退任した呉柏勲社長(C)共同通信社

【企業深層研究】シャープ(上)

「2024年度こそ、黒字化を成し遂げ、中期経営方針をやり切ることが私の責務である」

 シャープ・呉柏勲社長の5月14日の発言だ。

 この日、シャープは24年3月期決算を発表、2期連続の最終赤字が明らかになった。呉社長は2年前に就任したが、同時に赤字に転落、前3月期も浮上できなかった。

 それでも呉社長は冒頭の言葉のように、続投し、決算と同時に発表した中期経営方針を主導する意欲を示していた。

 それから1カ月後の6月26日。翌27日に定期株主総会を開くことになっていたシャープは、突如、呉氏が退任し、沖津雅浩副社長が昇格すると発表した。呉前社長が2期連続赤字の責任を取らされたことは明らかだった。

 赤字の原因ははっきりしている。液晶ディスプレー事業の不振だ。シャープのディスプレーデバイス事業は23年3月期に664億円の赤字を計上、それが響いて連結決算は2608億円の最終赤字となり、前3月期決算でもディスプレーデバイス事業の赤字は832億円、連結最終赤字は1499億円だった。

 これを受けてシャープは主力工場である大阪府堺市の「堺ディスプレイプロダクト(SDP)」での液晶生産を終了することとし、もうひとつの亀山工場(三重県)でも規模を大幅に縮小。今後、大画面テレビの液晶パネルは、すべて外部から調達することとなった。

 シャープは1912年、早川徳次氏によって設立された。早川氏はシャープペンシルを発明したアイデアマンで、新しい視点による新商品を次々と送り出し、やがて家電にも進出した。

 この早川氏のDNAは「目の付けどころがシャープでしょ。」という言葉となって受け継がれ、扉が左右両側から開く冷蔵庫など、他社にはないユニークな製品を開発していった。

 しかし裏を返せば、大手がやらないニッチ製品に活路を求めたということでもある。そのためシャープには長らく「一・五流企業」という、ありがたくないニックネームがつきまとった。

 その一・五流企業が一流に生まれ変わるきっかけになったのが液晶だった。

 1992年、シャープは「液晶ビューカム」という家庭用ビデオカメラを発売する。それまでのビデオカメラは、ファインダーで対象を捉えていたが、ビューカムは液晶モニターを見ながら撮影できたことで人気を集めた。

 続いて液晶テレビを発売。1998年には当時の町田勝彦社長が「すべてのテレビを液晶にする」と宣言した。その頃はまだブラウン管テレビが全盛だった。画質も液晶を上回っていた。しかし21世紀を迎えるころから、急速にテレビの大型化および薄型化が進んだ。シャープはこの波に乗り、ブラウン管テレビの市場を奪い、覇権を握っていった。

 このように、シャープは液晶により黄金期を築いた。それがなぜ、今回の発表にあるように、液晶事業と決別しなければならなかったのか。次回で詳しく見ていくことにする。  =つづく

(真保紀一郎/経済ジャーナリスト)

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