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神田正輝の原点でもある「石原軍団」を振り返ると昭和の芸能界の縮図が見えてくる

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月25日 9時26分

神田正輝の原点でもある「石原軍団」を振り返ると昭和の芸能界の縮図が見えてくる

神田正輝(C)日刊ゲンダイ

【芸能界クロスロード】

 神田正輝が27年半にわたりMCを務めてきた「朝だ!生です旅サラダ」(ABC、テレビ朝日系)を、9月28日放送をもって卒業。唯一のレギュラー番組降板を決断した。昨年11月から「体のメンテナンス」のため番組を2カ月休み、「痩せた」「元気がない」などの噂が飛び交い、重病説を報じる女性誌もあったが、今年1月に番組復帰。元気な姿を見せ、得意のダジャレも健在だった。

「73歳の年齢を考え、これ以上、無理して体調を崩し番組に迷惑をかけたくないという思いで、自ら降板を申し入れたといわれている」(芸能関係者)

 神田は石原裕次郎に誘われ石原プロ入り。「大都会」など石原プロ作品に出演。その後、2時間ドラマなどに出演しながらも石原軍団の顔でもあった。裕次郎亡きあとは渡哲也の参謀として舘ひろしとともに「石原軍団」を支えてきた。石原の後を引き継いだ渡も他界すると軍団は解散。神田はフリーになり個人での活動の道を選んだ。

 神田の俳優の原点だった「石原軍団」を改めて振り返ると、昭和の芸能界の縮図が見えてくる。刑事ドラマを中心に活躍した軍団の俳優たち。男の絆と結束力が魅力だった。震災時の“炊き出し”は軍団の真骨頂だった。

 ドラマ界に石原軍団あれば、映画界には「ピラニア軍団」があった。東映ヤクザ映画全盛期。大部屋に所属していた悪役、敵役が「いつか主役を食う」ことを夢見てピラニア軍団は誕生した。石原軍団のように団体で仕事をするためにつくられたわけではなく、「酒癖が悪く上の人から誘われない」ために、金はなくとも酒を飲む目的で結成された。毎晩のように京都・先斗町で飲んで暴れていた。たとえ二日酔いでも仕事になれば、出番はわずかでも必死に演技をするつわものたち。やがて「ヤクザよりもヤクザらしい迫力がある」と深作欣二監督らに認められ、「東映ピラニア軍団」と正式に名乗り認知された。

 個性派俳優たちはおのおの頭角を現し始め、川谷拓三は大河「黄金の日日」に出演。室田日出男は萩原健一のドラマに出演するなど活躍の場をテレビに広げた。志賀勝はバラエティー番組にも進出。眉を剃りサングラスをかけた怖い顔とのギャップで子供にも受けた。もっとも、「東京で稼いだ金は歌舞伎町で落とした」と豪語していた。ヤクザ映画もやがて衰退。軍団の顔だった川谷も室田も早くに他界。軍団も消滅していった。

 第三の軍団として出現したのが、石原軍団のパロディーともやゆされた「たけし軍団」だった。

 ビートたけしを師匠と慕う弟子が集まり結成された。ほぼ素人の集まりだったが、リアクション芸でたけしの冠番組に団体で出演。茶の間の人気者になり一大ブームをつくった。やがて事務所幹部とたけしの間に不協和音が生まれ、たけしは独立して個人事務所を設立。たけし軍団は解散した。残された軍団のメンバーは個人で活動を続けているが、元々、団体で強さを発揮していただけに、個になると弱い一面もある。

 軍団と似た存在に萩本欽一の「欽ちゃんファミリー」や「小室(哲哉)ファミリー」もあったが、家族から子供が巣立つように、個人で活躍した。

 昭和の芸能界に大きな足跡を残した軍団も、今の芸能界に居場所はない。俳優もフリーになる時代。「軍団」の名はすでに死語かもしれない。

(二田一比古/ジャーナリスト)

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