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広島元監督・阿南準郎氏を悼む。消えた外国人投手を捜しに大慌てで繁華街を歩き回った(川端順)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月1日 17時47分

広島元監督・阿南準郎氏を悼む。消えた外国人投手を捜しに大慌てで繁華街を歩き回った(川端順)

故・阿南準郎氏(C)日刊ゲンダイ

 広島がドミニカ共和国に新設した「カープアカデミー」出身のロビンソン・チェコは1995年、前半戦だけで10勝(5敗)をマークした。

 しかし、8月22日のヤクルト戦は登板日にも関わらず、グラウンドに姿を見せなかった。

 当時、私は投手コーチ。慌てて選手寮に連絡を入れると「昨夜から帰って来ていない」と言う。他のドミニカ人選手に行きつけの店を聞き、当時、常務取締役球団本部長だった阿南準郎さんと2人で広島市内の繁華街・流川を捜索した。試合前のことだ。

 結局見つからず、私だけ先に広島市民球場に戻った。すると、試合開始直前になって、阿南さんがチェコを連れて球場に来た。

「朝まで飲んでいて知り合いの家にいた」

 こう言うチェコに対し、阿南さんは烈火のごとく怒った。

「プロである自覚、カープの選手である自覚を持て! カネの話はそれからだ!」

 事件の真相は「新たなボーナス契約を結んでくれなければ、今後は先発しない」と登板を拒否したことだった。球団側が「先発しないなら二軍へ行け」ときっぱり断ったことで、チェコ側は撤回したものの、後にも先にも阿南さんが怒ったのを見たのは、あの一度しかない。

 阿南監督時代の87年、私は中継ぎ投手として前半終了時点で6勝0敗1ーブ、防御率はリーグトップを走っていた。しかし、オールスターの監督推薦で阿南監督が私を選ばなかったことで、釈然としない気持ちが残ったのは事実だ。

 数年後に現役を引退、編成部に在籍していた時のことだ。国際部で席が隣だった阿南さんに真相を聞いたことがある。

「あの時は悪かったな」

 実は投手コーチから「球宴期間くらいは休ませないと川端が壊れる」と進言を受けていたと聞き、わだかまりはなくなった。ご冥福をお祈りします。

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