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【私と五輪】5大会出場で今も現役 アーチェリー山本博「04年アテネでは公衆電話の行列が…」

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月2日 9時26分

 大舞台の経験で、憧れの存在との交流もかないました。私がアーチェリーを始めた頃、ダレル・ペイス、リチャード・マッキニーという2人の絶対的王者がいた。ペイスの自宅に招かれ、遊びに行ったことがあります。結構な銃マニアで、車のグローブボックスにも銃を入れていたし、家の中にも何丁も銃やライフルがあって、それを次々に自慢して見せてきた。米国という国がいかに物騒か、彼らから感じさせてもらいましたね。

 彼は金メダルを2つ(76年モントリオール、84年ロス)持っていますが、米国でもアーチェリーはマイナー競技だから平均的な家だったと記憶しています。アーチェリーの練習ができる90メートルの練習場と、バレーボールが好きだったからバレーコートはありましたが、豪邸というわけじゃなかった。それどころか、長い間貧しくて、トレーラーハウスで生活していたと聞きました。

 日本は今も当時もアーチェリーはマイナー競技。ロス五輪の頃はJOC(日本オリンピック委員会)すらできていなかったから、選手の派遣は日本体育協会がやっていた。大半の選手がみんな貧しくて、五輪に行くのも自己負担金を払わなきゃいけない。その自己負担金を一生懸命かき集めた選手も多かったし、私もそのひとりだった。夢を追って生活を切り詰めながら大会に臨んでいる選手が多かったと思います。メダルを取っても報奨金がない時代でしたから。

 周囲のサポートが増えてきたと感じたのはアテネ五輪以降。今は極めて恵まれた環境の中で頑張れるようになったから、いい成績を出して当たり前だとは思いますが、組織そのものは、そこまで成長していない。東京五輪以後に予算が削られることは明白だった中で、いくつかの競技団体は対応できなかったと思います。予測できた中で情けないなと。自分たちの財布をしっかりとつくれないまま寄付や支援金頼みで、補助金依存体質からも脱却できていないのではないか。日本のアーチェリー界も、東京五輪が終わって変わったことといえば、大会参加費が高くなって選手の年間登録費が上がったこと。それなりにやっているところもあるのだとは思いますが、登録選手からするとこういった印象です。その点、韓国は88年のソウル五輪後も強化をずっと続けている。国からの支援や国内メディアでの取り上げ方もうまくて、選手強化も維持している。尊敬できる組織だなと思います。

▽山本博(やまもと・ひろし) 1962年、神奈川県出身。横浜市保土ケ谷中でアーチェリーを始め、日体大在学中に84年ロス五輪に出場し、男子個人で銅メダル。88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタ五輪にも出場。41歳で臨んだ2004年アテネ五輪で男子個人銀メダルに輝き「中年の星」と呼ばれる。61歳の現在も現役選手として活躍中。

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