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バレー元全日本の成田(大懸)郁久美さんは長野で単身赴任中 夫は北海道で焼き鳥屋を経営【あの人は今】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月5日 9時26分

「北海道出身の夫も大学まで本格的にバレーをやっていて、私とは中学のときに全国中学生選抜で出会って、ずっと友だちでした。夫は私よりバレーが好きなほど。『好きなことで仕事にできるのはすごいこと』と応援してくれます。ほんと、感謝ですね」

■一緒に神戸に来てサポートに徹してくれた

 03年秋に「久光製薬スプリングス」で現役復帰したときも、夫が背中を押してくれたのだという。

「『久光──』のチームの拠点が神戸だったので、そのときは夫が神戸に一緒に来て、私のサポートに徹してくれました」

 それはスゴイ!

「2度目の選手生活は、それまで以上にバレーボールが面白くなりました。だから、結婚や出産をしても続けたい人は続けられるように、女子バレーボール界ももっとなっていってほしい。それには、女性は家のことを自分ひとりで完璧にやろうとしないことかな、と思います」

 35歳で2度目の引退をした後、夫と一緒に北海道に戻り、今度は夫の夢だった焼き鳥屋を始めたというわけだ。

「2人目の子が生まれるまでは、店の手伝いもしていました。でも、私のメインの仕事は、北広島市の教育委員を8年務めるなど、行政から依頼を受け道内の小中学生の体育の授業や部活動のバレー指導などをしていました。2020年に設立された『アルテミス──』の監督に就任してからは、夜や土日もチームの指導をしていたので、自分の時間はまったくありませんでしたね。でも、それぞれ指導の仕方がまったく違い、どれも勉強になりました」

 さて、北海道旭川市生まれの成田さんは、小学校4年のときバレーボールを始め、旭川実業高校卒業後、「NECレッドロケッツ」入団。20歳のとき、アトランタ五輪に出場し、アタッカーでありながら名レシーバーとしても活躍した。

 00年にシドニー五輪出場を逃すと「体も気持ちもつらくなり」、翌01年引退。03年復帰すると、翌04年のアテネ五輪にはリベロとして出場し、日本チームを5位に導いた。

「振り返ると、五輪のように、ひとつのことにあれだけ集中して突き詰めて努力できる経験って、なかなかない。良い仲間がたくさんできたし、すごく貴重な時間でした。親孝行にもなってうれしかったです(笑)」

(取材・文=中野裕子)

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