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「トドみたい」発言で炎上の和田アキ子はナゼ"ご意見番の大御所"に上り詰めた? 本業は歌手なのに…

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月14日 9時26分

 数字だけを見ると、代表曲の売り上げも芳しくはない。1972年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞に輝いた『あの鐘を鳴らすのはあなた』は、オリコン最高53位で4.1万枚と売り上げ自体は低かった。「あの頃はー!」の歌い出しでよくモノマネもされる『古い日記』は1974年に発売され、オリコン最高44位で5.4万枚に終わっている。

「和田さんは音楽活動を欠かさず、毎年シングルを発売してきました。そして、今でもホールコンサートツアーを行えるほどのファンがいる。立派な歌手なのは間違いありません。ただ、やたらと周りから持ち上げられているようにネット民は感じるのでしょう。"リズム&ブルースの女王"と呼ばれ、その年のヒット曲がないのにNHK紅白歌合戦に毎年出場していたし、トリを務めたこともあった。その違和感を長年持ち続けられてきたのでしょう」(前出のベテラン芸能記者)

人脈の広さを誇示する言動、大手プロ以外のタレントには厳しめの意見も

 和田アキ子は1973年から『金曜10時! うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系)に出演。ザ・デストロイヤー、せんだみつお、タモリなどと共演した同番組で"ゴッド姉ちゃん"という怖いキャラクターが定着した。

「当時のテレビには音楽やドラマが上で、バラエティーは下という序列があった。その中で、歌手の和田さんはプライドを捨てて暴れ回った。当時は"女らしさ"が重視された時代です。いじりを許容する大柄な女性なんていませんでした。そのため、バラエティーで重宝された。30代以降は司会者としてもテレビに欠かせない存在になりました。歯に衣着せぬ発言をする女性タレント自体が珍しい時代でしたし、自分がいじられても笑って許していた。テレビ界にとって稀有な存在で、いつの間にか"芸能界のご意見番"と言われるようになった。音楽番組もバラエティー番組も出るので、人脈は広くなるし、『アッコさんなら気軽に喋れる』というような親分的な存在でもありました。ザ・昭和の男社会の芸能界で、苦労して今の地位を築いてきた人です」(前出のベテラン芸能記者)

 85年に始まった『アッコにおまかせ!』はゲストを呼んでのトーク、ある場所からの生中継などが中心だったが、90年代後半にワイドショーのテイストを強め、芸能ニュースも取り扱うようになった。それが現在まで続いている。

「和田さんは、大手事務所のタレントはあまり批判せず、そうじゃない人には厳しく言うような場面もかつては目立っていた。芸能ニュースがあれば、『昨日電話をもらったんだけど』と人脈の広さを自慢するように取れる言動もあった。それらが視聴者の反感を買った面もあるでしょう。『タレントはプライベートで何かあったら和田アキ子に電話しないといけないのか』と面倒くささを感じさせていた。また、バラエティーで芸人たちが飲み会での和田の行為を面白おかしく、何度も喋ってきた。それはパワハラとも受け取られ、視聴者が引くような内容もありました。半分ネタだと思うんですけどね」(前出の芸能ライター)

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