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くも膜下出血で早逝「ブラックモンブラン」41歳副社長の夫が遺してくれたもの…妻で竹下製菓社長が告白

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月17日 9時26分

 3人の子育て中のママでもある。
 
「当時小6、小4、小3の子供たちには父親の状況を説明しつつも普段通りの生活をしてもらい、病院から電話がきたら夜中でも一緒に行くかどうか確認をしました。上の2人は大きなショックを受けたものの死を受け止められていますが、下は死がまだよく理解できていないようです。例えば、ゲームをするのに『パパのゲーム機を使っていいよ』というと、『だめだよ、パパが帰ってきたときに勝手に使っていたら怒られるじゃない?』といった具合で。亡くなって半年経った今も、パパはまだ埼玉にいてまた佐賀に帰ってくる、そんな感覚でいるような気がします」

「みんなが幸せになる企業にしたい」

 竹下製菓はここ数年で、事業拡大に舵を切っている。


 
「20年に埼玉のアイス製造のスカイフーズと、22年には岡山の生クリームパンの清水屋食品とご縁ができました。父の代から展開していたホテル事業も佐賀市内に一棟のみでしたが、私の代になってから大分の別府市内と福岡の行橋市内に一棟ずつ増やし、現在、3棟のホテルと長崎市内にサウナの温浴施設を運営しています」

 父・敏昭さんの代で参入したホテル事業を拡大しているのには訳があると、真由さんは話す。
 
「父がホテル業を始めたのは、佐賀駅前に集える場所と働く場所を作りたいという思いだったと聞いています。20年以上続く事業なので、主力事業と相互に支えられる一つの柱になればと思っています。またホテルが1棟だけだと、この先建て替えする際に、従業員の継続雇用が難しくなる可能性があります。九州4県にホテルと温浴施設があれば、それが回避できるのと、勤務地に選択の幅が広がります。支配人の枠が複数あれば、キャリアアップや仕事へのモチベーションアップにもつながるのではないかと考えています」

 戦友でもあった雅崇さんの存在は、仕事の上でも大きなモチベーションとなっていたという。
 
「一番つらいのは、夫を相手にもう壁打ちができないことです。私が事業の大枠を描いて音頭をとり、その構想を具体的に詰めて事業化していくのが夫の役割でした。緻密な夫と性格が異なる私の二人三脚がこれからもずっと続くと思っていたので……。生前に夫のいろんな意見、想いをもっと聞いておくのだったと悔やまれます」

 ここ数年の規模拡大は、事業の柱を増やして会社をより強靭なものにしていこうと、雅崇さんと練り上げた構想のもと進められたものだった。

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