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生々流転のアリナミン製薬…武田薬品から離れファンド間で転売される(有森隆)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月21日 9時26分

生々流転のアリナミン製薬…武田薬品から離れファンド間で転売される(有森隆)

おなじみの「アリナミンV」/(C)日刊ゲンダイ

【企業深層研究】アリナミン製薬(上)

 アジア系投資ファンド、MBKパートナーズは7月3日、アリナミン製薬(東京都千代田区)の買収を発表した。売り手は米投資ファンド、ブラックストーン・グループ。金額は3500億円とみられる。アリナミンのブランド戦略を強化し、アジアでの成長を目指すという。

 ブラックストーンは2021年、武田薬品工業から2420億円で、一般医薬品(大衆薬)事業の旧武田コンシューマーヘルスケア(現アリナミン製薬)を買収した。主力商品はアリナミンや風邪薬、ベンザブロックなどだ。

 ブラックストーンの傘下に入り、22年、茶のしずくブランドで石■やスキンケア製品を展開する通販会社、悠香ホールディングス(福岡県大野城市)を買収した。製品で小麦アレルギーを発症したとして利用者から損害賠償を求められていた訴訟が和解したことで買うことにした。

 24年7月、サプライチェーン強化のため、武田薬品の子会社で、アリナミンブランド製品の一部を製造委託していた日本製薬(大阪府泉佐野市)を手に入れた。

 アリナミン製薬の決算公告によると、23年3月期の売上高は639億円。買収があった2年前(533億円)に比べ、20%増えた。

 武田コンシューマーは16年4月、武田薬品の大衆薬部門を分社化して設立され、翌年の17年4月に事業を始めた。

 アリナミンシリーズは武田薬品の名前を世間に知らしめることになる看板商品だ。多くの日本人にとって、アリナミンは武田薬品の顔だった。

 戦時中から38年にわたって社長・会長を務めた6代目武田長兵衛は、1954年に日本初のビタミンB1製剤、アリナミンでタケダの社名を全国区にした。60年代には全利益の半分をアリナミンが稼ぎ出し“アリナミン王国”を築いた。87年、ドリンク剤・アリナミンVを売り出し、ヒット商品にした。

 飛躍する一丁目一番地であるアリナミンを売却することについて、一部の創業家やOB株主などが猛反発した。

 創業家出身の7代目社長、武田國男は2003年に会長に退くにあたり、後任社長に長谷川閑史を指名した。ドイツに3年、米国に10年駐在した国際派だ。國男から託された使命は、「医薬品に特化した専業メーカーとして、世界のトップ10入りを果たすこと」である。

 長谷川はその使命を達成するため、外国人経営者をスカウトした。

 14年6月27日、1781(天明元)年の創業来、初めて外国人社長を選ぶ株主総会が開かれた。英製薬大手グラクソ・スミスクライン出身のフランス人、クリストフ・ウェバーを取締役に選任する議案を審議した。4月、最高執行責任者(COO)として入社していた。

 ウェバーは世界のトップ10入りを果たすため、大型買収に打って出た。

 19年1月、アイルランドの製薬大手シャイアーを子会社にすることを完了した。売上高3兆円を超える日本初のメガファーマが誕生したが、買収総額は日本企業として過去最大の6.2兆円に上った。

 かつて無借金経営を誇った武田薬品は、巨額買収で財務が大幅に悪化した。有利子負債を削減するため、過去のしがらみがない社長のウェバーは次々と事業を売却した。創業の地である大阪・道修町の本社を売り払った。次に武田の代名詞となっていたアリナミンを含む大衆薬事業を売ってしまったのである。

 クリストフ・ウェバー体制が何をもたらしたかを検証する。=敬称略 (つづく)

(有森隆/経済ジャーナリスト)

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