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THE ALFEEがデビュー50周年 グループが半世紀も続いた秘訣は“三者三様でOK”にあり

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月21日 16時32分

THE ALFEEがデビュー50周年 グループが半世紀も続いた秘訣は“三者三様でOK”にあり

THE ALFEE(C)日刊ゲンダイ

 8月25日でデビュー50周年となるTHE ALFEE。恒例としている夏のライブイベントを開き、2日間で4万人を動員した。18日には、自分たちの持つ日本のコンサート本数最多記録を更新し2919本に。坂崎幸之助(70)、桜井賢(69)、高見沢俊彦(70)は約3時間ものステージをこなし、高見沢は満場の観客にこう伝えたそうだ。

「当面は皆と3000本目指しましょう。僕らは活動を止めないし、引退しません。まだまだ伝えたい歌がたくさんある」

■「おまえらは絶対売れるよ」

 1973年に明治学院大のキャンパスで出会い、1974年にシングル「夏しぐれ」でデビュー。しかし売れない下積み時代が長く、研ナオコやかまやつひろしのバックバンドをしたり、吉田拓郎の楽曲を覆面バンド「BEAT BOYS」としてカバーしていたことはファンにはお馴染みのエピソードだ。ニッポン放送「吉田拓郎のオールナイトニッポン」での企画では、本当に覆面をつけて原宿の竹下通りを練り歩いたこともあるそうだ。同じニッポン放送のラジオ番組で、このとき拓郎から「おまえらは絶対売れるよ」と励まされたことを明かして、こう振り返っている。

「コンサート会場っていうとプールの横か、ライブハウスの地下か、デパートの屋上しかないんですよ。その3つしかないんですよ。それもプールの時は、泳いでる人がたくさんいるのに、見に来ていたのは2人ですよ。こっちはステージに3人ですよ。こっちの方が多い。だからそういう言葉は励みになりましたね」(高見沢)

 1年にシングル4曲をリリースし、そのたびに全国をプロモーションでまわり、朝のラジオ体操から会社の営業所の飲み会まで顔を出していたらしい。それだけ頑張っても、レコード発売前日に発売が中止、レコード会社との契約も解除という憂き目も。それでも諦めず、活動し続けてきたのはメンバー3人ともにロックが好きという純粋な気持ちがあったからだとしている。坂崎は「3人できれいなハーモニーがつくれれば、それで満足」などと言っている。構成作家のチャッピー加藤氏はこう言う。

「彼ら、デビュー時は4人組で、フォーク系のアイドル的な形で売り出されたり、いろいろ辛酸をなめています。私は坂崎幸之助さんのラジオでアルフィーを知りましたが、こんなにしゃべりが面白くてライブも盛況なのに、なんでヒット曲が出ないんだろうと不思議に思っていました。ですから『メリーアン』が売れたときは、ああ、やっとという感じでしたし、古くから支えてきたファンの人たちは、そんな時代を知っているからこそ離れないんですよね。3人もそんなファンを大切にしてきました」

 そうやって、50周年。

「音楽的志向も個性も三者三様ですが、そこが対立にならず、お互いを補完し合う関係になっているところが半世紀続いた理由だと思います。音楽愛が強く不変だから、絆も強いのです」と続けた。

 高見沢は「50年たって素直に感じることは、歩みを止めないでよかったということ」とステージで語っていた。ひとつの道を究める求道者たちなのだろう。

  ◇  ◇  ◇

 研ナオコが語る、THE ALFEEがデビューしたての様子はこれだ! ●関連記事【もっと読む】アルフィーの3人の部屋の戸をバッと開けたらバタバタと青い顔をして…では、研ナオコがTHE ALFEEから感じた「自分と同じ匂い」について触れている。

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