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男も惚れたアラン・ドロンの魅力…引き裂かれた“日本人妻”に最期まで会いたがっていた(元木昌彦)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月25日 9時26分

男も惚れたアラン・ドロンの魅力…引き裂かれた“日本人妻”に最期まで会いたがっていた(元木昌彦)

いつまでもカッコよかった(C)ロイター

【週刊誌からみた「ニッポンの後退」】

 世の男たちをして、その美貌に嫉妬させた“世紀の二枚目”アラン・ドロンが亡くなった。享年88。

 私が映画「太陽がいっぱい」(日本公開は1960年)を初めて見たのは20代初め。悲しいまでに美しい映像とニーノ・ロータの音楽、ドロンの鍛え抜かれた肉体と端正な顔立ちもさることながら、何よりも、酷薄だが憂いを秘めた目力の強さに魅せられた。

 リノ・バンチュラと組んだ青春映画の傑作「冒険者たち」、生涯の友人でライバルだったジャン=ポール・ベルモンドとの「ボルサリーノ」も好きだが、ドロンの映画を1本選ぶなら「サムライ」だ。セリフを抑えた殺し屋を演じたが、帽子をかぶりトレンチコートの襟を立て、パリの裏街を歩くだけで生きることの悲哀と孤独を表現できた俳優はドロンしかいないと思うからだ。

 日本にも熱狂的なファンが多く、ドロンもたびたび来日し、多くのCMにも出た。私も若い頃、ワイシャツは「ダーバン」。バーバリー(ドロンはアクアスキュータムらしい)のトレンチの襟を立て、夜の雑踏をあてもなくさまよったものだった。ボルサリーノも買ってはみたが、友人に「麻生太郎のようだ」といわれて捨てた。

 そんなドロンが来日中に東京・吉原のトルコ風呂(その後ソープランドと改称)に遊びに行ったと報じられたのは1983年だった。日本の有名女優でもドロンが呼べば喜んではせ参じるだろうに、「なぜ?」と大きな話題になった。相方になった女性に週刊誌が殺到し、「世紀の幸せ者」とはやし立て、俺もドロンと“兄弟”になりたいという客が列をなしたといわれた。

 ドロンの日本女性好きは本物だったようだ。今年、週刊新潮(7月25日号)が、ドロンと17年間同棲した“日本人妻”の告白を掲載している。

 映画界から引退したドロンにフランスの国際放送がインタビューした際、“日本人の連れ合い”と長年暮らしていると語って、その存在が知られたのである。フランスで映画監督を目指していたヒロミ(67)がドロンと出会ったのは1989年、35年前のことだ。会ってまもなくドロンからディナーに誘われ、一夜を過ごした。

 その後、妻と別れたドロンに誘われ、“事実婚妻”として彼の豪邸で暮らすようになったという。彼女は「ドロンはとても嫉妬深いのよ」と語っている。だが、ドロンが体調を崩すようになってから、彼の3人の子どもたちから「父を虐待している」などとして刑事告訴されてしまうのである。後に不起訴になるが、これには資産20億円ともいわれるドロンの「資産」を巡る相続争いがあるようだ。以来、ヒロミはドロンに会えていないという。

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