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なぜ野球選手に国指定難病「黄色靭帯骨化症」が多いのか? 球界初の経験者と医師が語る

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月28日 9時26分

なぜ野球選手に国指定難病「黄色靭帯骨化症」が多いのか? 球界初の経験者と医師が語る

阪神の湯浅京己(C)日刊ゲンダイ

今度は阪神・湯浅京己が手術

 阪神は25日、湯浅京己(25)が「胸椎黄色靱帯骨化症」の手術を行い、退院したことを発表した。

 黄色靱帯骨化症とは国指定の難病として知られ、プロ野球界でも今季、ロッテの岩下大輝が昨年の手術を経て一軍復帰。DeNAの右腕・三嶋一輝、中日の左腕・福敬登は2022年に手術を行い、翌年に一軍復帰を果たした。

 脊椎疾患の患者を数多く診る岩井FESSクリニック院長の古閑比佐志医師が説明する。

「脊柱管の背中側に靱帯があるのですが、普通は軟らかいその靱帯が石のように硬くなる病気です。靱帯が硬くなるだけではなく、分厚く大きくなり、神経を圧迫する。手足のしびれや歩行に影響が出るなど、脊柱管狭窄症と似たような症状が特徴です。ひどくなると膀胱直腸障害で尿漏れなどもあります」

 湯浅らは手術を行ったが、中には手術をしない患者もいるという。

「症状を訴えて判明したのではなく、たまたま検査で見つかることもある。靱帯が硬くなっても大きくならず、自覚症状もない場合は経過観察というケースもあります。この黄色靱帯骨化症については、何が原因でそうなるのか、いまだ不明な点が多い。日本人、主に東洋人に多く、遺伝的な問題ではないか、という説もある。太った人もなりやすい傾向がありますね」(古閑医師)

 国指定の難病にもかかわらず、プロ野球界ではこの10年余りの間に十数人、この病気にかかった選手がおり、巨人の越智大祐は12年に手術をするも、一軍復帰はかなわず14年に引退。楽天時代の星野仙一監督も14年に発症し、休養を余儀なくされた。

 球界で最初に黄色靱帯骨化症の手術を行ったのが、元オリックスの投手で1989年の新人王、酒井勉氏(現東海大コーチ)だ。

 酒井氏は「93年なので、僕が30歳の時でした」と、こう続ける。

「不思議なことにプロを含めてなぜか全員投手なんですよね…」

「先発ローテの合間の投球練習中でしたね。トップをつくり、重心移動して投げる瞬間、急に背中をハンマーで殴られたような衝撃が、かかとまで走った。土井監督(当時)に相談すると『しびれは怖いから病院に行け』と言われ、1カ月くらい、あちこちを回り、最後に診察した病院で判明しました。そして手術となったのですが、なにせプロ野球では私が初めてなものだから症例もなく、復帰できるかどうかもわかりませんでした」

 その後、酒井氏は1週間、病院のベッドで寝たきり生活を送り、車椅子を経て立つ練習から始めたという。

「僕の時は脊椎の後ろ側を3本取って、硬くなった靱帯を除去し、人工骨を入れる大手術。結局、一軍復帰はかないませんでしたが……。8月に手術をして、翌年の春季キャンプに間に合わせようと無理をしたからか、肉離れもあった。もう少し、ゆっくりリハビリと練習をしていれば良かったのかもしれません。今も左足の小指の感覚が多少弱く、布で包んだような感覚ですね。でも、術式もだいぶ進歩しているようで、僕の後に手術をした選手は脊椎の後ろ側を3本外して悪い部分を削り、元に戻すという内容だったようです。今は内視鏡でできるそうで、手術をした三嶋選手の名前を取って『MISHIMA手術』と言われているとか。大学野球でもたまに聞きますが、不思議なことにプロを含めてなぜか全員投手なんですよね……。投げる動作のどこかが、靱帯に負担をかけているのか……」(酒井氏)

 来季、再び湯浅がマウンドで躍動する姿に期待したい。

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