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ブラジルの国民的歌手ゼルジオ・メンデス死去…60年来の友人、湯川れい子さんが語った“素顔”

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年9月10日 10時32分

ブラジルの国民的歌手ゼルジオ・メンデス死去…60年来の友人、湯川れい子さんが語った“素顔”

セルジオ・メンデス氏(C)ロイター

 世界中にブラジル音楽を知らしめたブラジルの歌手、セルジオ・メンデス氏が死去していたことが6日、SNSにおいて発表された。享年83。死因は明らかにされていないが、現地メディアによると、メンデス氏は新型コロナウイルスの影響で呼吸器系の疾患があったという。

 1941年にブラジルで生まれたメンデス氏は幼少時からピアノを習い、その後、ジャズに転向。66年にブラジル音楽であるボサノバをアレンジした名曲「マシュ・ケ・ナダ」を「セルジオ・メンデス&ブラジル'66」名義で発表し、世界中で大ヒットさせた。60年来の友人である音楽評論家の湯川れい子氏が同氏の功績を振り返る。

■いつも笑顔が絶えない人

「セルジオとの出会いは1962年。赤坂にあったクラブ『ニューラテンクォーター』や『コパカバーナ』で演奏のために来日していたころでした。『マシュ・ケ・ナダ』のヒットはもちろんですが、彼の功績はビートルズなどのポピュラーミュージックをボサノバ調でアレンジし、世界中に広めたことです。食べるのが好きで、いつも笑顔が絶えない人でした」

 来日時にはマイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンも定宿としていた赤坂のキャピトル東急に好んで宿泊し、湯川氏とは1階にあったレストランでよく食事をともにしたという。

「すき焼きなんかの日本食も大好きでしたね。ロスにあった自宅では私の親友が飼っていた秋田犬の子供を引き取って育てていました。そうした個人的なつながりがあって、互いの家を行き来する間柄でした」(湯川氏)

 湯川氏がメンデス氏に最後に会ったのは約2年前。ライブのため来日した時だった。

「その時も元気な様子でしたから、訃報を聞いた時には本当にショックでした……。ブラジルはサッカーが有名ですが、それ以前にブラジルを知らしめたのは彼の功績です。国民的な英雄として親しまれていた人でした」(湯川氏)

 音楽界の巨匠の死を悼みたい。

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