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資生堂はコロナ禍で業績悪化し経営トップ交代…藤原憲太郎社長は「伝家の宝刀」も抜いた(有森隆)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年9月12日 9時26分

資生堂はコロナ禍で業績悪化し経営トップ交代…藤原憲太郎社長は「伝家の宝刀」も抜いた(有森隆)

資生堂の銀座ビル(C)日刊ゲンダイ

【企業深層研究】資生堂(下)

「社長の魚谷雅彦は2024年まで続投」。役員の任期は延長しても最長6年で、19年度が6年目だった。

 役員指名諮問委員会は好業績を評価し、続投を答申。10年間、経営トップを務めることになった。1987~97年に社長だった創業家出身の福原義春以来の長期政権となる。

 これには関係者が驚いた。マーケティングのプロは、短期間で業績を上げるのが常で、10年も続けるのは極めて異例だ。再生請負人はあくまで中継ぎリリーフで、完投型ではないからだ。

 懸念は的中した。20年からの新型コロナ禍で、インバウンド(訪日観光客)の波に乗って急成長した魚谷流経営は窮地に立たされた。

 急成長をもたらしたのは中国事業だったからだ。「SHISEIDO」など高価格帯のプレステージ化粧品が大きく伸びた。もうひとつ伸びているのは、各国の空港免税店のトラベルリテール事業。日本事業が伸び悩むなか、中国と免税店の2事業が気を吐いてきた。

 爆買いの代名詞となった中国からの女性観光客を、百貨店の化粧品売り場に誘い、プレステージ化粧品でお化粧してもらう。女性客が帰国する際に空港の免税店で購入、帰国後はネットでプレステージ化粧品を注文する。魚谷が最も得意とするプレステージ化粧品とボーダーレスマーケティングの成果である。

 魚谷は中国からの爆買いのインバウンド需要を取り込むことに成功した。

 だが、新型コロナ禍で雲散霧消する。入国制限により、最大の顧客だった中国観光客のインバウンド需要が消えた。

 どうやって巻き返すのか。魚谷が取ったのは、中国への進出を加速させることだった。

 しかし、ロレアルやエスティローダーなど競合との安売り競争に巻き込まれた上、転売による超割安の商品が市場に出回るようになった。

 中国の女性の間で資生堂化粧品はもはや憧れのブランドではなくなった。

 日本ではマスクが定着し、化粧品販売がコロナ前を下回り、とうとう20年12月期に8期ぶりに連結最終赤字に陥った。かつては看板商品だったヘアケアの「TSUBAKI」など日用品事業を売却するなど構造改革に追われた。

 業績悪化を受けて、23年1月経営トップが交代した。藤原憲太郎常務が社長に昇格し、魚谷社長は会長に就いた。

 三顧の礼で迎えた手前、あからさまな人事はできなかったが、事実上の更迭である。

福原義春が23年8月30日、老衰のため死去

 藤原は海外部門が長く、18年からは中国地域最高経営責任者(CEO)として中国事業を率いてきた。グローバルでの経験を生かし、主力の日本事業を強化する。

 だが、海外の営業の大きな柱である中国事業は低空飛行のままだ。

 23年8月下旬に東京電力福島原子力発電所の処理水が海洋に放出されて以降、中国では日本の化粧品の不買運動が起こった。期待した日本事業も、実は中国人客が需要の大半を占めていたため、営業赤字に沈む。

 藤原は伝家の宝刀を抜く。今年2月、早期退職を募集し1477人の応募があった。早期退職は資生堂の経営難を内外に知らしめた。

 社長、会長を歴任し、世界的企業に成長させる基盤を築いた福原義春が23年8月30日、老衰のため死去した。

 義春は創業者福原有信の孫。創業家出身のドンとして、プロ経営者の魚谷雅彦、後任の藤原憲太郎の就任にOKを出した人物だ。

 今後、資生堂のキングメーカーに誰がなるのかだ。=敬称略

(有森隆/経済ジャーナリスト)

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