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真田広之の飽くなき執念がハリウッドの壁を切り崩し、「SHOGUN 将軍」にエミー賞18冠をもたらした

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年9月26日 9時26分

真田広之の飽くなき執念がハリウッドの壁を切り崩し、「SHOGUN 将軍」にエミー賞18冠をもたらした

真田広之(C)ロイター

【芸能界クロスロード】

 俳優・真田広之が米国テレビ界の最高峰、エミー賞で作品賞・主演男優賞を含む史上最多の18部門を獲得した。

 野球界では大谷翔平が大リーグの頂点までたどり着いたが、映画界でも真田がハリウッドの高くて厚い壁を切り崩した。

 これまで加藤雅也や吉田栄作も挑んだがハリウッドの壁にはね返されてきた「日本人俳優は通用しない」といわれた黒歴史を真田が塗り替えた。

 振り返れば、2003年公開の「ラストサムライ」の出演が真田のターニングポイントだった。この作品でトム・クルーズと共演したのが渡辺謙と真田だったが、大きく取り上げられたのはトムと肩を並べる主役の渡辺だった。真田は2人の陰に隠れるようだった。

「ラスト──」から21年、真田のプロデュース・主演の時代劇は米国からも認められた。成功した要因のひとつが真田の飽くなき執念だったと思う。渡辺は日本の事務所に所属しながらの活動だったが、真田は米国に骨をうずめるがごとく腰を据えた。そして、言葉の壁や体格差に立ち向かい乗り越えた。

 授賞式で「夢がかなった!」と叫んだ真田の言葉には、苦労してきたこれまでの思いが集約されていた。作品は戦国時代を描いた時代劇。日本語で通し、字幕に英語を入れたのは、「メード・イン・ジャパン」を強調するこだわりだったのだろう。

 作品に対する思いも印象的だった。

「これまで時代劇を継承、支えてきてくださった全ての方々、そして監督や諸先生に心より御礼申し上げます」と語った。

 5歳で子役デビューした真田は最初に共演した千葉真一との出会いが俳優人生の起点になった。

 千葉が主宰するアクションクラブに入団。師弟関係を築いた。1978年、オーディションで深作欣二監督の「柳生一族の陰謀」に起用され時代劇に目覚めた。「忍者武芸帖」など時代劇で見せる華麗な殺陣と立ち居振る舞いは過去の時代劇の観念を一蹴。「動きがきれい」と表現された。「麻雀放浪記」など現代モノでも代表作はあったが、真田の根底に流れていたのが時代劇だ。

 東映が時代劇全盛期だった時代、著者も取材で何度となく京都・太秦の東映撮影所に足を運んだ。スターには相手にされなかったが、大部屋俳優や裏方の人は気さくに接してくれた。先斗町で夜遅くまで飲み歩いても翌日、仕事となると彼らの目の色は違っていた。声など掛けられない。逆に「邪魔だ、どけ」と容赦なく声が飛ぶ。照明マンの話が印象に残っている。

「俺たちが真剣に取り組むから、スターも脇役も関係なく、いい演技につながり、いい作品が生まれる」

 ある光景を目の当たりにしたこともある。東京から人気俳優が撮影スタジオに入った時のこと。照明係が上から俳優の足元にペンチを落とした。後輩が解説してくれた。

「あれはワザと。スタジオに入っても取り巻きに囲まれニヤニヤしている彼に“喝”を食らわすために。ケガをさせないように落とすのもプロの技」

 東京の俳優から「太秦は怖いところ」といわれるゆえんである。真田は東映で鍛えられた。今回の映画で、共演者やスタッフまで、時代劇の所作も含め厳しく指導したという。かつて深作監督やスタッフから厳しく育てられたことが今回の作品に生かされた。

(二田一比古/ジャーナリスト)

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