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選手、企業、協会…朴HCが語っていた暗闘の歴史…日本バドミントンをメダル常連競技に押し上げた名伯楽が退任

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年9月28日 9時26分

選手、企業、協会…朴HCが語っていた暗闘の歴史…日本バドミントンをメダル常連競技に押し上げた名伯楽が退任

朴柱奉氏(C)日刊ゲンダイ

 功労者が日本を去る。

 バドミントン日本代表のヘッドコーチ(HC)として五輪5大会で指揮を執った朴柱奉氏(59)が来年1月に退任する。

 朴HCは2004年のアテネ五輪後に就任。低迷が続いていた日本代表をトップレベルへと押し上げ、計6個のメダルを獲得した。HC就任前は日本代表とは名ばかりの酷いありさまだったという。リオ五輪後の17年、朴HCは日刊ゲンダイのインタビューで当時をこう振り返っている。

「日本に来て初めてのインドネシアオープン(04年)で、男子のシングルス3人が全員1回戦で負けた。試合後、ホテルへ戻るまでバスの中で、男子選手がヘラヘラと笑って喋っている。私は部屋に集合させて怒りました。当時は通訳を介して『男子は明日から女子の応援団をやるしかないね』と、あえてプライドを傷つける言い方をしました。(中略)そもそも、私が来る前は合宿がなかった。所属チームで練習して、大会前に空港で集合して終われば解散。みんなで練習する環境がないなんて理解できなかった。合宿に行かないで何のアドバイスができるかと」

 性根を叩き直したのは、選手たちだけではない。

「所属チームからのコンプレイン(苦情)が多かったです。たとえば、潮田(玲子)が女子ダブルスとミックスダブルスの2つにエントリーすると、(当時所属していた三洋電機から)『なぜ2種目も?』と。ナショナル監督の決定に、所属チームがダメと反対する。これにはショックでした。リオ前の1月に3週間、沖縄で砂浜キャンプをしたとき、厳しいフィジカルトレーニングで山口茜がケガをしたときも、チーム(再春館製薬所)の前の監督から、もう言葉でボンボンボンと(攻撃された)。『なぜこのタイミングで合宿したんですか。なぜ砂浜トレーニングなんですか』と。でも、チームのリクエストを全部聞いていたらナショナルでは動けません。4~5年間はチームのコンプレインにかなりファイティングしました」

 朴HCは金銭面でも〝ファイティング〟。国際大会で優勝すれば飛行機の座席をビジネスクラスにグレードアップする約束を取りつけ、選手や指導者のモチベーションを上げた。これまでエコノミーだったため、チームは大興奮だったという。

 しかし、パリ五輪では一転、大会前に計画していたナショナルトレーニングセンターでの代表合宿が予算不足で実施できず中止に。協会の申請ミスによる不手際も相次いだことで、愛想を尽かされたのかもしれない。

 朴HCは母国の韓国やかつてコーチを務めたマレーシアからオファーを受けたこともある。

 大きな存在を失った日本バドミントン界。またぞろ、弱小時代に戻りそうな雲行きである。

  ◇  ◇  ◇

 それにしても、日本のお家芸だったはずのバドミントンはなぜパリ五輪で惨敗だったのか。協会の失墜を招いた「大事件」とはいったいなにか。

●関連記事【もっと読む】…では、それらについて詳しく報じている。

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