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“女子プロレス界の聖子ちゃん”立野記代さんはドリンクバー経営…“3禁”のはずが二十歳で大失恋も【あの人は今】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年10月14日 9時26分

“女子プロレス界の聖子ちゃん”立野記代さんはドリンクバー経営…“3禁”のはずが二十歳で大失恋も【あの人は今】

元女子プロレスラーの立野記代さん(C)日刊ゲンダイ

【あの人は今こうしている】

 立野記代さん(元女子プロレスラー/58歳)

 ゆりやんレトリィバァ(33)主演の「極悪女王」(Netflix)が配信され、80年代女子プロレスブームが再来。当時、“女子プロレス界の聖子ちゃん”と呼ばれ、アイドルレスラーとして全日本女子プロレス興業(全女)のリングに立っていたのが立野記代さん。現在は都内でドリンクバーを営んでいる。

  ◇  ◇  ◇

 東京・武蔵小山にドリンクバー「悟飯」を構えたのは2002年。まだ、LLPW(現LLPW-X)の選手で、後輩のハーレー斉藤さん(享年48)と共同経営でスタートさせた。立野さんは10年に引退し、飲食店専業に。現在、日曜日は全女の後輩である前川久美子さん(51)と共に、酒と癒やしを提供している。

「お店をはじめた頃は夜の仕事に不慣れで疲れすぎて、食べていてお箸を持ったまま寝ちゃったことがある。今は楽しいよ。もともと人見知りだし、以前は一見さんの酔っぱらいを断る口実に会員制にしてたけど、コロナ禍でお客さんの流れが変わったこともあり、オープンにしました。自分もオトナになったから(笑)、今は誰でもOKです」

 小学3年生のときに地元の栃木県に来た全女を見て、「私は女子プロレスラーになるために生まれてきた!」と稲妻が走って、中学校を卒業してすぐ全女に入門。16歳で、“女子プロレス界の聖子ちゃん”というキャッチフレーズをつけられた。

「テレビ撮りの日に実況アナウンサーがそう呼んでたっていうのを後日聞いて、『えっ、私ってそうなの!?』ってビックリ。おかげで熱狂的なファンも増えて、軽自動車やワンちゃんをプレゼントされたことがあります。一方であの肩書のせいで、選手からの“当たり”も厳しくなったけど……」

 アイドル顔にEカップの悩殺ボディー。1986年に同期の山崎五紀さん(58)と「JBエンジェルス」を結成すると、CBSソニーからレコードデビュー。TBS系ドラマ「夏・体験物語2」に出演するなど、一躍タレントレスラーに。

「1時間後に1000万持ってきたら辞めさせてやる」

「私はプロレスだけをやりたかったから、とにかく嫌で……。でも、全女が決めたことに私たちはNOが言えない。絶対服従だったので『やりたくないです!』って反発しても、『もう決まったことだからやりなさい』と。それで二十歳のとき、芸能もプロレスも何もかも嫌になっちゃった。理由? 大失恋です」

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