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《斉藤和巳の巻》助っ人外国人の信頼も勝ち得ていた絶対的エース【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年10月18日 17時0分

《斉藤和巳の巻》助っ人外国人の信頼も勝ち得ていた絶対的エース【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

斉藤和巳(C)日刊ゲンダイ

【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】#20

 斉藤和巳

  ◇  ◇  ◇

 当時のホークスで誰もが認めるエースといえば、現在四軍監督を務める斉藤和巳(46)です。杉内俊哉や和田毅らエースと呼ばれた投手たちも、「どうやったら和巳さんを追い越せるんだろうか」と常に考えていたほどです。

 南京都高校から1995年ドラフト1位で入団当時は、いかにもな「ヤンチャ坊主」。ポテンシャルはありましたが、身体能力に任せて、ただ投げているだけ。そんな和巳が変わったのは、現監督の小久保裕紀の影響が大きかった。

 98年に小久保と和巳はいずれも右肩を米国で手術。術後、リハビリに励む小久保の姿を目の当たりにして、和巳は「俺はこのままじゃダメだ」と痛感し、野球に対する姿勢が急激に変わりました。小久保に心酔するようになり、2人でヒーローインタビューを受けた時は明らかに舞い上がっていたほどです。

 負けん気の強さは人一倍。やはり気の強い西武の石井貴と投げ合っていた時は圧巻でした。打者を打ち取った和巳が西武ベンチに向かって「しゃあ!」と挑発すれば、石井も同様に抑えた時は、ホークスベンチに向かって「おらあ!」と叫ぶ。まさに意地と意地とのぶつかり合いでした。

 とにかく、和巳が投げる試合は負ける気がしませんでした。低めに集まる速球にキレのあるスライダー、打者のタイミングを外すカーブ、鋭く落ちるフォークなど、僕らが見ていても「レベルが違う」とハッキリわかったほどです。

 野手の信頼も勝ち得ていました。20勝した2003年の翌年は右肩を痛め、登板間隔も中10日を空けざるを得ませんでした。最終的にこの年は防御率6.26と散々な結果でしたが、驚くのは10勝7敗という成績です。これは野手陣が和巳をどう思っていたかの答え。「和巳に負けをつけさせるわけにはいかん。何点取られても、負けさせるわけにはいかん」と、一丸になった証しです。だからこそ、ポストシーズンで未勝利のまま引退となったのは残念でなりません。忘れもしない06年10月12日、日本ハムとのプレーオフ第2ステージ、和巳は日本ハム先発の八木智哉と投げ合い、無失点に抑えながらも九回裏にサヨナラ打を浴び、チームはプレーオフ敗退。和巳は涙を流して崩れ落ち、その両肩をズレータ、カブレラの助っ人2人が支えてマウンドから降りました。僕も「そっか、和巳は彼らからも認められていたんやな……」と目頭が熱くなりました。

 右肩の故障で活躍した期間は長くはありませんでしたが、周囲に与えた影響はとてつもなく大きかった。

(田尻一郎/元ソフトバンクホークス広報)

  ◇  ◇  ◇

 次回は【杉内俊哉の巻】。関連記事から要チェックだ。

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