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《松中信彦の巻》死球覚悟でないと抑えられなかった平成の三冠王【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年10月24日 17時0分

《松中信彦の巻》死球覚悟でないと抑えられなかった平成の三冠王【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

好調時は手がつけられない打者(C)日刊ゲンダイ

【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】#22

 松中信彦

  ◇  ◇  ◇

 いつの試合かは覚えていませんが、おそらく西武戦だったと思います。松中信彦(50)が打席に立った時、信じられないものを見たことがあります。それは捕手の位置。

 モニターに映るセンターからの映像を見ると、捕手の姿がバッターボックスの松中の後ろにすっぽり隠れていた。

「え? ぶつけるってこと?」

 僕は驚きましたが、あれはバッテリーとしては苦肉の策だったのでしょう。外角に投げたら左中間のスタンドに放り込まれる。かといって、インコースのさばきも天才的。あれは誰にも真似できません。そこで、絶対に甘いコースにならないよう、捕手は死球覚悟でミットを構えたのではないか。

 それだけ松中は他球団から恐れられていました。2004年は打率.358、44本塁打、120打点で1986年の落合博満さん以来となる三冠王。

 プロ入り後は決して順風満帆だったわけではありません。1996年ドラフトは1位が井口資仁、2位が松中、3位が柴原洋。当時、打撃投手だった僕は先輩スタッフに「誰が一番いい打者だと思う?」と聞かれ、「すぐに成績を残せそうなのは柴原ですかねえ」と答えました。すると先輩も「ああ、おまえもそう思うか」とうなずいている。

 というのも、松中は社会人の新日鉄君津出身。当時の社会人野球は金属バットが使われており、松中もその打ち方が染み付いていた。フルスイングしても、僕ら打撃投手のボールですら、アンツーカーの手前くらいで打球が落ちてしまう。

 その後も打ち方を克服して一軍に上がったら、今度はフォーク攻めに苦戦。登録と抹消を繰り返し、一軍に本格的に定着したのは入団3年目の99年でした。

 そんな松中と小久保裕紀がテレビ局の企画で、バッティング技術の取材を受けた時の話です。

 取材の合間、小久保が話題に出したのが「打球をつまらせてホームラン」。小久保が「極端にグリップの上あたりにボールが乗ると、重く感じるでしょ?」と聞いてきたので、僕が「なるほど、わかる」と言うと、「それを芯あたりでやるんです」と小久保。「え? わざと?」と驚く僕に、小久保はこう言いました。

「ボールの芯とバットの芯が当たったら、ボールがパーンと離れるでしょ? でも、芯をわざとずらすと、ボールがバットに乗った感覚がある。だから自分でスピンをかけられるし、打球の角度を調節できる。コンマ何秒の世界ですけど」

 唖然とする僕でしたが、そこにインタビューを終えた松中が戻ってきて、「何の話? ……ああ、俺もそうっすよ」と、こともなげにさらり。その瞬間、僕は「こいつらの感覚えぐいわ……。俺、選手辞めて良かった」と思ったくらいです(笑)。

(田尻一郎/元ソフトバンクホークス広報)

  ◇  ◇  ◇

 次回は★《井口資仁の巻》。関連記事から要チェックだ。

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