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『Shall we ダンス』映画賞総ナメは40歳で…遅咲きのスターはいかにして名優になりえたか【役所広司論/金澤誠】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年10月24日 9時26分

『Shall we ダンス』映画賞総ナメは40歳で…遅咲きのスターはいかにして名優になりえたか【役所広司論/金澤誠】

役所広司(C)日刊ゲンダイ

【役所広司論】#1

 製作にも名を連ねた主演作「PERFECT DAYS」(2023年)で第76回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞をはじめ、日本アカデミー賞やキネマ旬報ベスト・テンの主演男優賞にも輝き、10月25日公開の新作「八犬伝」では、主人公の「南総里見八犬伝」の原作者・滝沢馬琴を演じている役所広司。今や日本を代表する世界的な俳優になった彼だが、映画俳優として花開いたのは、「KAMIKAZE TAXI」(95年)を一つの予兆として、「Shall weダンス?」「眠る男」「シャブ極道」の主演3作品によって各映画賞の主演男優賞を総なめにした96年からで、当時40歳の遅咲きのスターであった。役所広司は、いかにして名優になりえたのか。その経歴と人物像を、約30年にわたって彼を取材してきた私の経験を交えながら探っていきたい。

 役所広司は1956年に長崎県諫早市に生まれた。自伝的な事柄も書いた著書「監督の油」を読むと、子どもの頃はメンコやビー玉、コマなど勝負ごとの遊びに明け暮れていたという。両親に連れられて、幼い頃に片岡千恵蔵主演の「多羅尾伴内」シリーズ(46~60年)を見た記憶があるそうだが、さほど映画や芝居に興味はなかった。思春期を迎えて東京に出たいという思いが強くなり、東京の公務員試験を受けて合格し、高校卒業後に上京。千代田区役所土木部道路課で働き始める。

 だが、当時高円寺に住んでいた彼は、勤務地の九段下へ電車で向かう途中、体の具合が悪くなって欠勤することが多かった。要は、働きたい仕事ではなかったのである。東京は自分に合わないと思い始めた20歳の頃、まだ俳優座に所属していた仲代達矢の主演舞台「どん底」をたまたま見て、演劇のとりこになった。給料が安かったので観劇料が安い小劇場へ通ったそうだが、やがて自分も俳優の勉強をしてみたいと思うようになる。

 そんなとき、仲代達矢が旗揚げした俳優養成所「無名塾」が入塾者を募集していることを知り、運試しのつもりで応募。この試験に受かって2期生として入塾。彼の俳優修業が始まったが、師・仲代の回想によれば試験の時、山で遭難して死にそうになる演技を課題で出したら、役所は大声を出し過ぎて貧血で倒れたという。慌てて仲代が駆け寄り、その後にパントマイムの試験もあったので、「少し休んでいたら」と言ったら、役所は「やります」と答えたとか。役所の声の大きさと、駆け寄ったときに「なかなかの二枚目だな」と思った印象が残って、仲代は演技経験がまったくなかった彼を合格させたらしい。

 役所広司の本名は橋本広司だが、芸名は仲代が付けた。由来は彼が区役所で働いていたことからきているが、このとき彼の故郷から取った“諫早広司”も芸名候補に挙がっていたとか。ともあれここに俳優・役所広司が誕生し、彼は4年勤めた千代田区役所を辞めて、78年に演劇の世界へと飛び込んだ。

(映画ライター・金澤誠)

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