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「シティホテル3号室」金欠とバイトとライブの日々…キングオブコント12度目で初の決勝進出【芸人 貧乏物語】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年10月28日 9時26分

「シティホテル3号室」金欠とバイトとライブの日々…キングオブコント12度目で初の決勝進出【芸人 貧乏物語】

「シティホテル3号室」の亮太さん(左)と押田さん(提供写真)

【役者・芸人 貧乏物語】

 シティホテル3号室(亮太さん・押田さん)

 キングオブコントに12度挑戦し、今月の決勝に初登場して5位に食い込んだ「シティホテル3号室」。亮太さんは配信サービスチャンネルのチェックのバイト、押田さんは塾講師歴16年と苦労を重ねてきた。

  ◇  ◇  ◇

亮太 僕は18歳で大学に行くため、北海道から上京。大学を出た後に2年くらい図書館とパチンコへ行く以外は引きこもった生活をしていて。パチスロ風来坊として稼ぐくらいのギリギリの生活。社会復帰を兼ね、ご家族で経営されていた優しい雰囲気のお寿司屋さんでバイトを始めて5、6年勤めました。芸人になるのはそのあたりから。

 次のバイトは、有名な配信動画サービスがちゃんと放送されてるか監視する仕事をしてました。電波の放出ができてるか誰かが確認してなきゃいけないらしく、24時間をシフトで分け、ひとりがオフィスの一室でジーッと画面を監視しているんです。そのバイトは事務所の先輩から紹介されて、芸人ばかりがやっていたんですよ。事務所の先輩のウエストランド河本(太)さん、マヂカルラブリーの村上さん、令和ロマンの松井ケムリくんと、日本で一番M-1優勝者を輩出しているバイト先でしょうね。

押田 僕は大学生だった2008年から中学受験の学習塾ジーニアスでバイトを始めました。毎日子供たちに教えるのに忙しくて自分は大学にほぼ行けなくなり、借金して学費を払っていたので、その頃が一番貧乏でした。今もやってますので16年になります。子供の頃から人前でしゃべる仕事をしたい気持ちはあったので、塾講師は僕に向いてたんでしょうね。

 面白い授業をして小学3年から6年までの生徒を笑わせています。学びの根本は楽しさですし、堅苦しい授業は子供は聞いてくれない。楽しい授業の方が生徒の学力は伸びるんです。それに小学生は何を言っても笑ってくれる、いわゆるゲラなので、ウケると「俺って面白いんだ」と思える(笑)。それがあったから芸人になりました。芸人になってからはライブとかで芸人から聞いた話を塾で披露して、さらに爆笑とってます。

亮太 普通は逆だろ(笑)。バイト先で得たエピソードをライブの舞台で面白く話すのが芸人なのに。

押田 今は面白い先生としては確立できた感じです(笑)。でも、まだそれがライブに逆輸入できていない。塾でウケるネタは大人には通用しないと気づきました。

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