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日本卓球の超新星 メダリストキラー大藤沙月に“万年2位”の過去…日本代表連続撃破で国際大会圧巻の初V

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年10月29日 9時26分

日本卓球の超新星 メダリストキラー大藤沙月に“万年2位”の過去…日本代表連続撃破で国際大会圧巻の初V

大藤沙月(C)共同通信社

 歴代メダリストを次から次になぎ倒した。

 27日、卓球WTTチャンピオンズ(仏モンペリエ大会)の女子シングルス決勝で大藤沙月(おおどう・さつき=20、世界ランキング15位)が初出場で初優勝を果たした。

 2回戦でパリ五輪団体銀メダルの平野美宇(24=同11位)をストレートで下すと、準々決勝では東京五輪混合団体金の伊藤美誠(24=同8位)に3-1で勝利。決勝でパリ五輪団体銀の張本美和(16=同7位)を4-2で下し、頂点に立った。

 福井県出身の大藤が卓球を始めたのは3歳のとき。スポーツ少年団でコーチを務めていた父親の影響だった。小学生になると、自宅のリビングにあった卓球台で父親からの指導を受けるようになり、小学2年時に、父親の「もっと環境の整ったところで競技を続けさせたい」という思いから福井のフェニックス卓球クラブに通うことになった。父親自身は今も時々、臨時の指導者としてこのクラブに来ることがあるという。

 当時、大藤を指導していた平塚陽一郎コーチはこう振り返る。

「『天才』でした。当時から感覚のいい子で、同じ年代の子に同じことを教えても、覚えるのが早くてすぐに取り入れられる。普段は明るくて笑顔でいるんですが、試合になるとクールな表情に変わる。ポーカーフェイスというか、やる気がないと誤解されることも多くて(笑い)。大会では同い年の木原美悠選手にいつも勝てず“万年2位”だった。それでも、小学6年生の終わり頃から勝てるようになってきて、だんだん力が追いついていき、本人も自信がついてきたのではないでしょうか」

 もともと実力はあったものの、平野や伊藤に比べると世界ランクが低いため、コロナ禍による参加制限の影響で国際大会に出られないことも多かった。しかし、今年から国際大会に出場するようになると、シングルスだけでなく女子ダブルスでも表彰台の常連に。今年4月の段階で世界ランキングは125位だったが、10月のアジア選手権では団体優勝に貢献し、ダブルスでも優勝した。

「2015年、小学5年のときに全日本選手権の13歳以下のカテゴリ(カデットの部)で準優勝したんですが、その翌年、同じ大会で試合中に足を捻挫してベスト16にも届かず、悔しい思いをしていた。その挫折を乗り越えて、地道に実力をつけてきた結果だと思います」(前出の平塚コーチ)

 ダークホースがロス五輪の代表候補に名乗りを上げた。

  ◇  ◇  ◇

 超新星が出現したとはいえ、日本の卓球界は安泰とは言い難い。伊藤美誠がパリ五輪で代表漏れしたように、異常事態が起きているからだ。伊藤は、いったいなぜ転落したのか。彼女に何が起きていたのかを紐解くと、日本卓球界のいびつな構造が見えてくる。

●関連記事【もっと読む】…では、それらについて詳しく報じている。

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