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《馬原孝浩の巻》守護神抜擢は二軍コーチのファインプレー…勝利の方程式「SBM」ではリーダー格【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月15日 9時26分

《馬原孝浩の巻》守護神抜擢は二軍コーチのファインプレー…勝利の方程式「SBM」ではリーダー格【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

馬原孝浩(C)日刊ゲンダイ

【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】#28

 馬原孝浩

  ◇  ◇  ◇

 人間何が起こるかわからないものです。通算182セーブを挙げた馬原孝浩(42)がそうでした。

 2003年のドラフト自由枠で九州共立大から入団。最初は先発として期待されていましたが、なかなか結果が出ない。転機となったのは2年目の05年です。

 春先から先発調整をしていましたが、一軍には斉藤和巳をはじめ、和田毅、杉内俊哉らそうそうたる顔ぶれ。馬原を一軍で投げさせる機会をつくりたくても、入る隙がない。二軍投手コーチの杉本正さんも「どうしようか……」と悩んでいました。

 そこで杉本さんは「中継ぎとして上に推薦しよう」と提案。僕が「あのメンツに先発で入るのは厳しいですからね」と同意すると、杉本さんも「一郎もそう思うか。よし、中継ぎで行かせよう」と、馬原をリリーフ調整に切り替えさせました。

 二軍では抑えを任せたところ、1イニングを全力で投げるのでまったく打たれない。交流戦で一軍に呼ばれると、結果を出して抑えに定着。まさに杉本さんのファインプレーとも言える配置転換が功を奏したのです。

 当時、ホークスは通称「SBM」と呼ばれる勝利の方程式がありました。摂津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原のリリーフ3人の頭文字であり、ソフトバンクモバイルのもじりでもある。この3人のリーダー格だったのが、実は馬原なんです。

 後輩からも慕われており、特に摂津にとっては「プロとはどういうものか」を教わった恩人のような存在です。敬愛する気持ちが強いあまり、こんな“事件”もありました。

 11年の中日との日本シリーズ、最終戦で胴上げ投手になったのは抑えの馬原ではなく、先発転向1年目で14勝を挙げ、優勝に大きく貢献した摂津。秋山監督があえて馬原を使わず、最終回を摂津に託したからでした。

 しかし、日本一が決まっても摂津はニコリともせず、試合後はテレビ局の取材を「出たくない」と拒否。口を閉ざす摂津に、僕は「俺さ、神様じゃないけん、何でもわかるわけじゃない。せめて、なんでダメなのか教えてくれ」と言いました。

 すると摂津は「あそこは僕が投げる場面じゃなかった。日本一でも、今はそういう気分になれません」と胸の内を吐露。つまり、尊敬する馬原の役割を奪ってしまったことに納得いかず、思い悩んでいたのです。

 そこで「先発・摂津としてなら話すが、胴上げ投手・摂津としてはしゃべらない」と提案、テレビ局の幹事に連絡をしました。その幹事も即座に「それでいきましょう」と快諾したのだから、この決断もなかなか凄い。

(田尻一郎/元ソフトバンクホークス広報)

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