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《柴原洋の巻》お手本のようにレギュラー定着も「四天王扱い」に不満を抱いていたワケ【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月22日 9時26分

《柴原洋の巻》お手本のようにレギュラー定着も「四天王扱い」に不満を抱いていたワケ【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

柴原洋(C)日刊ゲンダイ

【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】#31

 柴原洋

  ◇  ◇  ◇

 1996年のドラフトで1位・井口忠仁(現・資仁)、2位・松中信彦に続く3位で指名されたのが柴原洋(50)です。

 上位指名が打者3人ということもあり、打撃投手の間では「誰が一番、成績を残す?」と話題になりました。僕が真っ先に名前を挙げたのが柴原でした。ボールのさばき方が上手で、パワーもそれなりにある。

 強打の捕手として知られた吉永幸一郎も「柴原、いいですよねえ」と感心し、「あの子、今のままで何もせんでも2割5分は打つよ。3人の中で一番いいんじゃない?」と話していました。

 そんな柴原でも本格的に台頭したのは2年目。当時、中堅を守っていたトンプソンが故障し、急きょ、柴原が一軍に呼ばれたのがレギュラー獲得の足がかりになりました。そこからの数試合は打つわ打つわ、ヒットを量産。盗塁を成功させるなど足でもアピールし、一軍に定着しました。まさに「レギュラーってのはこうやって取るんだ」というお手本のような活躍でした。

 当時は打線の中核を担っていた小久保裕紀、城島健司、松中、柴原が「ホークス四天王」と呼ばれていました。ただ、柴原は不満があったようで、「田尻さん、四天王とか言われているけど、俺そんなに(年俸)もらってないっすよ」と愚痴を言われたこともあります。先に入団した小久保と城島、同期でも本塁打を量産していた松中に比べると、柴原の年俸は低かったのは事実でしょう。

「いや、そういうんじゃなくて、球団として選手を売り出すための戦略だから、な?」となだめましたが、納得できない様子で「まあ……いいっすけど……」とブツブツと言っていました。

 柴原の件に限らず、僕ら広報やスタッフは球団と選手の板挟みになることも多い。

 ダイエー時代、球団歌の「いざゆけ若鷹軍団」をパートごとに選手が歌うことになり、「なんで俺らが歌わなきゃいけないの?」と言われたことも一度や二度ではない。「俺に言うな。会社からの指令や。俺に言っても何も変わらんから、都合のいい時間だけ教えてくれ」と言うしかありませんでした。

 柴原の話に戻りますが、引退後はマネジメント事務所と業務提携こそ結んだものの、所属という形ではなく、マネジャーもつけずに一人で仕事を取ってきています。テレビ番組にあれこれ出演するのではなく、母校である九州共立大との関係を深めるなど、自分の生きる道を自分で考えているのです。

(田尻一郎/元ソフトバンクホークス広報)

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