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《オレの人生まあまあだったなあ》と突然言われ…ベテラン相撲記者が明かす元横綱・北の富士さん秘話

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月22日 11時32分

《オレの人生まあまあだったなあ》と突然言われ…ベテラン相撲記者が明かす元横綱・北の富士さん秘話

北の富士勝昭さん(C)共同通信社

 元横綱・北の富士勝昭さん(本名・竹澤勝昭)が12日に亡くなっていたことがわかった。享年82歳。横綱経験者としては明治時代の初代梅ケ谷の83歳4カ月に次ぐ長寿だった。

 北海道旭川市から単身上京し、出羽海部屋に入門。1957年1月場所で初土俵を踏むと、6年かけて十両に出世。64年に新入幕を果たし、66年に大関、70年に横綱に昇進するなど、出世を重ねた。現役時代の優勝は10回ながら、角界では「ライバルである横綱・玉の海が急死しなければ、もっと優勝していたはず」ともっぱらだった。

 引退後は独立して井筒部屋を興したのち、九重部屋を吸収合併。九重親方として、千代の富士、北勝海(現八角理事長)の2横綱などを育てた。相撲協会退職後は、長らくNHKで解説者を務め、歯に衣着せぬ発言でお茶の間に親しまれた。

 時事通信社記者として長年大相撲を担当し、時事ドットコムで「土俵百景」を連載していた若林哲治氏が、北の富士さんの取材秘話をこう明かす。

「本当の意味でユーモアにあふれた人でした。面白い話で周囲を笑わせていましたが、他人をからかったり、クサしたりは絶対にしない。主に話すのは自分の失敗談でした。相撲協会の理事時代、理事会があることを忘れてゴルフに行ってしまい、翌日になって公務をすっぽかしたことに気付いた。慌てて春日野理事長(元横綱栃錦)に謝罪すると、『そんなことだろうと思っていたよ』。今だったら、大変なことですよね。

横綱2人を育てたことを聞いても「弟子が頑張ったから」

 北の富士さんは現役時代、『プレイボーイ横綱』と言われたように女性にモテましたが、本人に言わせると『柏戸の方がモテたよ』と。ある場所で柏戸に勝って意気揚々と国技館を出たところ、後ろから突然、頭をひっぱたかれた。驚いて振り向くと、馴染の芸者だった。『なんで柏戸に勝つの!って怒られた』と、笑いながら振り返っていました。そんな話ばかりですね。

 自慢話、手柄話、苦労話はしない。横綱2人を育てたことを聞いても、『弟子が頑張ったからだよ』としか言いませんでした」

 若い頃からスタイルやファッションに気を遣い、解説者時代も着物や赤い革のジャケットなどを着こなした。

「本人曰く、『若い頃の自分のポッチャリ顔は嫌い』とのことで、引退後は減量に励んでいました。現在は引退してダイエットをする親方が多いですが、北の富士さんはそのはしりと言っていいでしょう。一方で、入門当時は体が細く、恰幅のいい姿に憧れていたこともあったようです。着物や浴衣は太っている方が見栄えがするので、北の富士さんは着物の下にタオルを巻いて、わざと太っているように見せていたのだとか。

 解説者として着物姿が定着してからは、ゴルフ場で会ったファンに『今日は着物じゃないんですね』と言われたこともあったそうです。本人は『着物でゴルフするか! ほんと、そう言ってくる人がいるから困るんですよ』と言って笑う。

 10年ほど前、北の富士さんが突然、『オレの人生、こう見るとまあまあだったなあ』と言い出したので、驚いたことがあります。横綱まで出世し、親方としても横綱2人を育てた人の人生が『まあまあ』なんて言われたら、僕ら凡人の人生は……なんて思ってしまいますよ。本当に面白い方でした」

 現役時代は速攻を得意とする横綱として、引退後は辛口だが愛のある解説者として、多くのファンに愛された存在だった。

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