1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

「会いたい」大ヒットの沢田知可子さんが小田原移住し「主人に依存している」理由【あの人は今】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月25日 9時26分

 32歳のときに結婚したので、2025年で丸30年。仲が良いんだなぁ。

「120%、夫の辛抱のおかげ。夫が母親で、私はやんちゃ息子、という感じかな(笑)。夫はもともと私のバックバンドのメンバー。『会いたい』を出した頃にはもう交際していました。『会いたい』ヒット後、レコード会社に訴えられたり、マスコミに追いかけられたり、大変なことが次から次へと起こり、夫と一緒だったからこそ乗り越えてこられたと思います」

 14~15年には、「会いたい」の作詞家・沢ちひろ氏から訴えられ、騒動になった。

「沢さんは天才。尊敬しているのに、その思いをうまく伝えられていなかったので、先生を怒らせ、寂しがらせてしまったのかもしれません。裁判は結局、沢さんが私に電話をかけてくださり、お互い本音で話せたおかげで誤解が解け、訴えを取り下げてくれました。その翌年に心不全でお亡くなりになったことを、後に彼女のお姉さんからうかがったときは、本当にショックでした」

 19年からは夫がマネジャーも務める。

「それで、ますます絆が深まりました。まるで夫婦ユニットなので、デビュー35周年を迎えた2年前、主人の名字の“澤”の字を取り入れ、澤田知可子に芸名を変更しました。私は良い意味で、主人に依存しているんです(笑)」

 さて、埼玉県与野市(現・さいたま市中央区)出身の沢田さんは高校卒業後、浦和交通安全協会でOLをしながらライブハウスで歌っていたところ関係者の目にとまり、87年「恋人と呼ばせて」(トーラスレコード)でデビュー。90年にリリースした「会いたい」が有線から火が付き、130万枚と大ヒット。翌年、NHK紅白歌合戦に出場した。

「レコード会社をクビ寸前のタイミングで、ようやく『会いたい』のヒットに恵まれました。『会いたい』を超えるヒットを出そうと、もがいた時期もあり、自暴自棄になるほど苦しみました。でも、40歳を過ぎた頃、テレビの音楽番組の“涙の名曲”を選ぶ企画で『会いたい』が1位に選ばれ、04年には新潟県中越地震に見舞われた長岡で歌ったら、お客さんが涙を流され……。『会いたい』はセラピーなんだ、と気付き、『会いたい』を超えたいと思うのはやめました」

 12月1日、大阪・岸和田の「むくの木ホール」でコンサート開催。

(取材・文=中野裕子)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください