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勘三郎さんの夢が結ばれた勘九郎さんの「俊寛」 勘太郎を襲名した七緒八くんの成長に感動(ラサール石井/タレント)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月28日 9時26分

勘三郎さんの夢が結ばれた勘九郎さんの「俊寛」 勘太郎を襲名した七緒八くんの成長に感動(ラサール石井/タレント)

18代目中村勘三郎(左)と6代目中村勘九郎(C)日刊ゲンダイ

【ラサール石井 東憤西笑】#232

 盟友であった中村勘三郎さんが亡くなって今年で十三回忌。

 追善の興行が各地で行われている。そのひとつが三島村歌舞伎「俊寛」で、先日NHKで放送された。

 平清盛討伐の謀略のため鹿ケ谷に集った罪で鬼界ケ島に流罪となった俊寛と康頼、成経の3人が、ボロボロの姿になりながら、ひたすら赦免されて都に帰れる日を待っている。若き成経が海女の千鳥を妻にすることになり喜んでいると、そこに御赦免船がやって来る。しかし、妻の千鳥は乗せられないと言われ、俊寛は使いの侍を斬り、1人残って代わりに若き夫婦を船に乗せてやる。出て行く船を追い、悲壮な孤独感と共に涙ながらに「おーい、おい、おい」と叫ぶ俊寛。

 この舞台となった鬼界ケ島は、鹿児島県の南西諸島にある硫黄島(第2次大戦の舞台となった硫黄島とは別の島)であるといわれ、島には海に向かって叫ぶ俊寛の銅像が立っている。

 この地を訪れた勘三郎さんが、「ぜひここで実際に演じたい」と発案し、前代未聞の本物の海と船を使った大野外劇が公演されることになった。

 このアイデアが生まれた情景は手に取るようにわかる。シーワールドのシャチのショーからコクーン歌舞伎「四谷怪談」をつくり、唐十郎氏の赤テントを見て自由に外に持っていける平成中村座をつくった。

 硫黄島に「行ってみたいねえ」となり、行けば「ここでやってみたいねえ」となる。それをそこで終わらせず、周りを自然に動かし実現させるのが勘三郎さんだ。40歳で初演し、亡くなる前の年の2011年に再演した。

 そして初演の時に14歳で出演した勘九郎さんが今年、その俊寛の大役を演じたのだ。悪天候で前日フェリーが動かず当日乗り込みで、通し稽古もないままに、しかも初役の俊寛を見事に演じ切った。まさに父親が乗り移ったような瞬間が何度もあった。

 そもそもこの興行は勘三郎さんが再演の時に、その年に生まれた勘九郎さんの長男七緒八くんが15歳、自分が70歳の時にまた演りたいと言っていた夢から始まった。

 1歳の頃にビデオで歌舞伎を見るのが大好きでテレビの前で見えを切る足の所作を真似していたあの七緒八くんが、勘太郎を襲名して「俊寛」で成経を演じ、まだ中1ながら堂々と長ゼリフをしゃべる姿には感動した。

 たった12年で、子も孫もこれだけ成長するものか。さぞや空から見ていた勘三郎さんもうれしく、そしてあの人のことだから自分が演りたくて悔しかったことだろう。

(ラサール石井/タレント)

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