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第1号・村上雅則の11年前…“幻の大リーガー”は完全試合男 MLB選抜チーム監督が《米国に連れて帰りたい》と

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月28日 9時26分

第1号・村上雅則の11年前…“幻の大リーガー”は完全試合男 MLB選抜チーム監督が《米国に連れて帰りたい》と

西村貞朗(C)共同通信社

【仰天野球㊙史】#3

 佐々木朗、菅野、小笠原……太平洋航海を望む選手の動きは今や年末から新年にかけての“球界歳時記”になっている。

 日本人大リーガー第1号は1964年に海を渡ったサンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則(法政二高-南海)であることは広く知られているが、実はその11年前に日米野球で来日したロパット・オールスターズからスカウトされ、その一員として日本相手に登板した18歳の投手がいた。

 西村貞朗(さだあき)という。香川・琴平高の投手で、53年に西鉄ライオンズ入り。甲子園出場なしの無名だったが、速球とドロップの本格派右腕。同期の豊田泰光(水戸商高)は夏の甲子園で選手宣誓をした強打者で新人王となったが、西村の1年目は2勝9敗だった。

 ところが、西村に思わぬ話が来た。その年の10月の日米野球の第5戦(平和台)に3番手で登板。この投球を見た監督エド・ロパットが惚れ込み、以後、大リーグチームの一員となって同行した。第9戦と第11戦で大物投手を救援して無失点に抑えた。最終戦のあとロパットが「米国に連れて帰りたい」と申し入れたのだが、西鉄の三原脩監督が拒否したため“幻の大リーガー”に。

 西村は翌54年、22勝を挙げ西鉄の初優勝に貢献。稲尾和久(大分・別府緑丘高)が入団した56年にも21勝を挙げ3連覇の始まりを支えた。そして58年7月19日、東映フライヤーズ戦(駒沢)で史上5人目の完全試合を達成。それなのに「神様仏様……」の稲尾の陰に隠れてしまったのは不運だった。

 このときのオールスターズは歴代日米野球でも最高のメンバーだった。投手のロビン・ロバーツ、ボブ・レモン、捕手のヨギ・ベラ、三塁手エディ・マシューズらは殿堂入り。ロパットはヤンキースのエース。西村はそんな時代に獲得の声がかかった投手だった。

 三原が「イエス」といえば日本人初の大リーガーになっていたのは間違いない。

(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)

  ◇  ◇  ◇

 日刊ゲンダイで好評連載中の当コラム「仰天野球㊙史」。前回はプロを目指してあらゆる手段を使い、最終的には偽名で球界入りしたレジェンドについて報じている。いったい当時、何が起きていたのか。その悲しい背景とは。

●関連記事【前回を読む】…も、野球ファンなら要チェックだ。

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