1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

《秋山幸二の巻》選手、二軍監督としてチームを2度強くした。無口でも面倒見良く庶民派な一面も【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月28日 9時26分

《秋山幸二の巻》選手、二軍監督としてチームを2度強くした。無口でも面倒見良く庶民派な一面も【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】

名選手にして名監督(C)日刊ゲンダイ

【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】#33

 秋山幸二

  ◇  ◇  ◇

 秋山幸二さん(62)はホークスを2度、強くしたと言っても過言ではありません。

 1度目は選手として。西武からトレードでダイエーに移籍してきた1994年以降です。この連載でも書きましたが、常勝軍団で競争意識が強い西武で揉まれてきた選手。体のどこかが痛いから休むということはしません。94年は腰痛で満足に走ることすらできなかった時期がありましたが、根本陸夫監督はスタメンで起用し続けました。フルスイングもできず、それでも右打ち中心の打撃で、打率.254、24本塁打、73打点の成績。そんな姿に小久保裕紀を筆頭としたさまざまな選手が感化されたのです。

 2度目は指導者として2005、06年の二軍監督時代です。03、04年に二軍監督を務めた森脇浩司さんが、それまで午後には終わっていた二軍の練習時間を夜まで伸ばしたことは前回お話しした通り。秋山さんもそれを継承し、さらに打者の長所を伸ばす指導にも熱を入れていました。朝から練習を始め、夕方、影が長くなり、ナイター照明をつけてもまだ終わらない。秋山さん自身、西武時代は打撃の何かを掴むため、深夜1時にマシン打撃をしていたこともあったというのだから、「必要ならやって当然」という考えです。

 自ら打撃投手を買って出ることもありましたが、「これじゃないとダメなんだよなあ」と、スパイクを履いて投げていました。

 選手としてはナインに「強いチームの選手とはこういうものだ」と背中でメッセージを送り、二軍監督としては徹底的に若手を鍛える。その集大成が11年の日本一でした。

 性格面で言えば、口数が少ないのは、ファンのご存じの通り。面倒見のいい部分もあり、ルーキー野手を「ミーティング」という名目で、食事に連れていくことも何度かありました。行き先はいつも焼き肉屋。「体力が落ちてきたら肉を食え。スタミナは肉でしかつかない」というのが、秋山さんの持論です。もっとも、焼き肉でも高級店ではなく、意外とホルモンとか庶民的な焼き肉も好んでいました。

 無口すぎて僕がミスをしてしまったこともあります。ある時、取材依頼がきた旨を伝えると、「ああ」とひと言。了解したってことなのかな? と取材を入れたら、秋山さんに「断っただろう」と怒られたことがある。後で知りましたが、「ああ」は否定。取材OKの時は「わかった」と言う。これはもう、知らないとわかりません。

(田尻一郎/元ソフトバンクホークス広報)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください