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日本シリーズで思い出す 怖さ知らずのパッティングで制した青木功さんとのプレーオフ(羽川豊)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年12月4日 9時26分

日本シリーズで思い出す 怖さ知らずのパッティングで制した青木功さんとのプレーオフ(羽川豊)

金谷拓実(C)共同通信社

【羽川豊の視点 Weekly Watch】

 賞金王争いが注目された今年の日本シリーズは、金谷拓実が逆転で僅差のマネーレースを制しました。

 会場の東京よみうりCCはこの時季、硬く締まった高速グリーンが選手を苦しめます。やや砲台で傾斜もきついので、ラフからのショットをピンの手前に止めるのは至難の業です。

 私がこの大会に勝ったのは大学を出た翌年の1981年。日本オープンで優勝した1カ月後でした。

 90年までは前半2日を大阪のよみうりCCで行い、金曜日に東京へ移動。後半2日間は現在のコースが舞台です。81年は雪のため大阪は中止。東京で2日間36ホールの短縮競技になりました。

 会場近隣の専大に通っていたものの、東京よみうりでプレーするのはこの時が初めて。初日は4年連続賞金王の青木功さんが6アンダーで飛び出し、私は4打差の3位。翌日の最終日は12番までに5つのバーディーを奪い、15番からも3連続で首位に立ちます。

 難関の18番は220ヤードを超えるパー3です。この日は3番か4番アイアンで打ちました。グリーンの左へ外し、2打目は9番アイアンで転がしカップ右上1メートルへ。これを沈めて65でフィニッシュです。

 最終組の青木さんも4メートルのパーパットを入れてプレーオフへ。1ホール目の16番パー4。私が1ピン奥からのバーディーパットを決めて勝つことができました。

 最終日18番のピンポジションは、毎年右手前が「定位置」です。「あんなグリーンでやったらイップスになりますよ」というゴルフファンの声をよく聞きます。

 難しいグリーンが多くても、当時の私は怖いものなし。スライスでもフックでも、きつい下りでも、10メートルの距離でも、グリーンへ上がる前にカップインするイメージが浮かんでくる。

「どこに乗っても入れてやる」と思って打っていたし、実際5メートル以上のパットも外れる気がしなかった。グリーン上でまったく不安を感じないので、カップをショートすることはほとんどありません。しっかりヒットしたボールはラインに負けません。

 パットを邪魔する要因は、「迷い」や「弱気」ですが、まったく無縁でした。

 しかし、怖さ知らずのパットは長くは続きませんでした。米国遠征で大きなうねりのあるグリーンに戸惑いを感じ、いろんな芝質のグリーンを経験していくと「入った」と思ったパットが1メートルもオーバーする。カップを外しても「返し」なんて考えたことなかったのに、その1メートルが外れて「あれ?」というミスが多くなる。入れることしか頭になかったパットが、打つ前から外れたときのことを気にするようになると、強気のパットは、もう打てない。手の動きが悪いから強くヒットするとパンチが入って2メートル以上もオーバー。ここまでくると、距離感が合う、合わないの問題ではありません。

 若さゆえの勢いだったのでしょうが、グリーン上の感動と失望のドラマは懐かしいです。

(羽川豊/プロゴルファー)

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