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1982年は35歳の「中年」沢田研二がド派手に立ち回る最後の1年に【1982年の沢田研二】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年12月14日 9時26分

1982年は35歳の「中年」沢田研二がド派手に立ち回る最後の1年に【1982年の沢田研二】

そりゃあもう奇麗の何の(女優の田中裕子)/(C)日刊ゲンダイ

【沢田研二の音楽1980-1985】#44

 1982年の沢田研二

  ◇  ◇  ◇

 一言でいえば「1980-1985の中で、もっとも派手な1年!」。

 シングルは3枚。1月の「麗人」、5月の「おまえにチェックイン」、9月に「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」をリリース。

 アルバムは2枚。6月に「A WONDERFUL TIME」、そして12月に、井上陽水が全曲、作詞・作曲した問題作「MIS CAST」。

 と、これだけでもなかなかに賑やかしいのに、「同窓会」ザ・タイガースとしても、「色つきの女でいてくれよ」をヒットさせ、オリジナルアルバム「THE TIGERS 1982」を2月に、ライブアルバム「A-LIVE」を5月にリリースする。

 あー、お腹いっぱいというところに、6月からは全国ツアー。さらに12月公開の映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」に出演。

 共演はご存じ、その後、結婚する田中裕子──と書くだけでヘトヘトになるような大活躍だったのだ。

 音楽的には、かなりロックンロールに振れた前年に比べて、またニューウェーブ感、ブリティッシュ感が盛り上がる中、佐野元春に続く新種の才能である大沢(現・大澤)誉志幸の大抜擢がトピックとなる。

 以上のように、あらゆる意味で盛り上がった1年だったのだが、ちょっとだけいじわるな言い方をすると、沢田研二が芸能界的に派手に活躍した最後の年だったとも言える(その後の1989年や、2001年には、また少々派手になるが)。

 1982年といえば、沢田研二が34歳になる年。音楽シーンはといえば、サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」に、あみん「待つわ」、近藤真彦「ハイティーン・ブギ」という年。年末時点で桑田佳祐26歳、あみんの岡村孝子は20歳、近藤真彦に至っては、まだ18歳。

 そう、当時の音楽界、ひいては日本という国は若かったのだ。そんな中、30代は、今と違ってもう「中年」だった。歌番組で一回り下の若者たちと並ぶザ・タイガースは、さすがに別世界の住人に見えたものだ。沢田研二が、年齢に関する自虐的な言葉を吐くことも、この頃から、増えてきたように思う。

 しかし、それでも派手に活躍するのだから、さすがにプロフェッショナルということでもある。

 さぁ、34歳の「中年」沢田研二が派手に立ち回る「1982年の沢田研二」が、12月17日・火曜日から始まる。

▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。ラジオDJとしても活躍中。

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