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中山美穂デビュー直後の秘蔵写真を“プロアイドルヲタク”が語る…急逝から10日、広がるミポリンロス

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年12月17日 16時3分

中山美穂デビュー直後の秘蔵写真を“プロアイドルヲタク”が語る…急逝から10日、広がるミポリンロス

中山美穂(ブレーメン大島氏提供)

 歌手で女優の中山美穂さん(享年54)が、6日に不慮の事故で亡くなってからおよそ10日、悲しみの声が収まらない。

 16日には、日本レコード大賞の「特別功労賞」が贈られることが発表された。中山さんは、1985年に「C」で歌手デビューし、同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。「色・ホワイトブレンド」(86年)、「ツイてるねノッてるね」(86年)、「You're My Only Shinin' Star」(88年)とヒット曲を連発し、92年にはWANDSと共演した「世界中の誰よりきっと」が180万枚超のメガヒットとなった。

 “プロアイドルヲタク”を自任するアイドル評論家のブレーメン大島氏もしみじみとこう話す。

「彼女はデビュー前、板橋区の中学校に通っていて、地元でも“すごくカワイイ子がいる”と噂になっていました。近所に住んでいたので、学校まで見に行ったんですが、その時は会えずじまい。その後すぐ、『毎度おさわがせします』で大人気となって、この子だったんだと知って驚きました」

■“アイドル女優”の先駆け

 85年1月に「毎度~」で一躍有名になると同年6月「C」をリリース。同時に同曲が主題歌の「夏・体験物語」でドラマ初主演を果たした。

「この写真はその頃のもので、『夏・体験物語』の収録の帰りか何かだと思います。当時、彼女は、15~16歳。出待ちをしていて、帰り際に話しかけると、少し照れながらニコニコと話をしてくれて、最後は手を降って車で帰っていった。85年の映画『ビー・バップ・ハイスクール』では、不良高校生のマドンナ的存在で、セーラー服がすごいハマっていましたが、素顔の彼女は不良っぽさとかは全くなくて、ファン思いの優しい子でしたね」(大島氏)

 その後も、「ママはアイドル!」(87年)、「君の瞳に恋してる!」(89年)と、ドラマに出演し続ける一方で、90年代に入ってからも、前出の「世界中の誰よりきっと」がミリオンセラーになるなど、アイドルと女優の二刀流で活躍し続けた。

「いわば、アイドル女優の先駆け的な存在。当時、アイドルは“3年間ヒットを出し続けるのは至難の業”とされ、80年代は“アイドルの賞味期限は3年”などといわれていた中、彼女は、20代になっても、歌手と女優の両方で活躍し続け、アイドルファンならずとも誰からも好かれる存在になった。ご冥福をお祈りします」(大島氏)

 昭和から平成の時代を彩った希代のアイドル女優がサヨナラも言わずに旅立ってしまった。

  ◇  ◇  ◇

 中山美穂さんも見舞われた「入浴中の事故」は思いのほか高い頻度で発生している。関連記事【もっと読む】中山美穂さんの死因は入浴中の事故…全国の「入浴中急死者数」は年間約1万9000人で交通事故より多い…では、その件数の多さについて伝えている。

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