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小林幸子さんは農業支援、子供食堂支援「死ぬまで続けたい」 大学や相撲部屋も賛同して米作り【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年12月23日 9時26分

小林幸子さんは農業支援、子供食堂支援「死ぬまで続けたい」 大学や相撲部屋も賛同して米作り【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】

小林幸子さん(C)日刊ゲンダイ

【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】

 小林幸子さん(歌手/71歳)

  ◇  ◇  ◇

「ラスボス」小林幸子さんは、最近ではギャルに扮してDJを披露するなど歌謡界のチャレンジャーとして常に話題を振りまいている。やりたいことも次から次に湧いてくる日々だ。今、取り組んでいること、これからやりたいことを聞いた。

 今年は私にとってデビュー60周年です。あれから60年もたったのかと思うと、気が遠くなりそうです(笑)。

 縁あって古賀政男先生にスカウトしていただき10歳でデビュー、そして60年です。まさか古希を迎えるまで歌うことができるなんて思いもよらなかった。そんな歌手人生の中でいろんなことをやらせていただき、感謝の言葉しかありません。

 これからは、今までの分をファンやお世話になったみなさんにお返ししなきゃね、という思いです。2年前に「幸せプロジェクト」を立ち上げました。目的は農業や子供食堂の支援です。

 私は新潟生まれで、両親とも農家の出身です。両親が当たり前のように米作りをやっていたのを見て育ちましたから、それを受け継いで農業支援を死ぬまで続けたい。

東京農大、立浪部屋も賛同して米作り

 旧・山古志村で田んぼを与えられたのは、2004年に起きた中越地震がきっかけです。あれからちょうど20年。山古志地域の「小林幸子田」で作った新米を「復興米」「幸子米」として3.11(11年)の東日本大震災、16年の熊本地震で被災した人にも届けてきました。元日に起きた能登半島地震の被災地にも、現地がどんな状況かを見ながら届けられればと思っています。

 能登は地震の規模も大きくて、それでなくても復興には時間がかかるのに、その後、豪雨にも見舞われ、本当に気の毒になります。本来なら現地で歌って被災者に元気になってほしいけど、今は地盤や家、水道などの復興を見守りながら、コロッケさん、大黒摩季さんといったみなさんとチャリティーライブやフェスティバルなどで寄付や基金を募っています。

 新潟は農業県です。過疎化と後継者不足が深刻です。農業は3Kの厳しい職業と思っている人もまだ多いと思います。でも、最近は新しい機材とかドローンを使ったやり方もあるんです。田植えなんて大きな船みたいな機械でやっている。パンプスを履いてでもやれます、みたいな感じに変わってきました。そういうところも見てもらいたいですね。

 一方で、旧・山古志村は棚田なので大きな機械が入りません。私たちは軽トラックで行って、手で苗を植え、稲刈りをし、刈ったのをはざ掛けし、天日干しして脱穀するのを何年も続けています。今年は東京農大(東京農業大学)の江口(文陽)学長はじめ、学生さんが農業支援の一環として協力、参加して田植えを実際に体験してくれました。これからも農業支援の輪をもっと広げていきたいですね。

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