【仰天野球㊙史】敗色濃厚の太平洋戦争末期の1944年正月 軍部の命令に背いてプレーボール、空襲に遭いながら8試合
日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年1月9日 9時26分
投手兼任監督として、タイガースのユニホームを着る若林忠志=1947年(C)共同通信社
【仰天野球㊙史】#8
大谷翔平の大リーグでの活躍を、あの選手たちはどう見ているだろうか。米国との太平洋戦争の末期、1944(昭和19)年に軍部はプロ野球に対し、「(公式戦を)中止せよ」。国内に残った選手たちは、それに背くように試合を行った歴史があった。
45年の正月大会である。場所は関西。選手不足から4チームを2チームに編成した。阪神(9人)と産業(4人)で組んだのが「猛虎軍」。阪急(7人)と朝日(7人)が「隼軍」とそれぞれ名乗った。
試合は1月1日から5日までで、使用球場は奇数日が甲子園、偶数日に西宮。いずれもダブルヘッダーだった。元日の結果は第1試合が猛虎9-3隼、第2試合も猛虎8-3隼。最初の勝利投手は、ハワイ出身の若林忠志。“七色の変化球”の異名を持つ投手で、のちに日本シリーズの勝利投手第1号になった。
産業は中日に、朝日は松竹を経て大洋に吸収され、昨年の下克上日本一DeNAへとつながっている。出場選手を見ると、プロ野球が再開して活躍したミスタータイガース藤村富美男、首位打者の金田正泰、盗塁王の金山次郎、二刀流の呉昌征、最初の通算1000安打を記録した坪内道則ら大物がいた。
結果は猛虎が7勝1敗と圧勝した。5日間10試合の予定が8試合に終わっているのは、空襲に遭ったのが原因だった。3日の第1試合の五回裏、猛虎の攻撃中に米軍機が飛来して攻撃を受け、中止に追い込まれた。第2試合もできなかった。
あちこちの都市が空襲で逃げ回っている暗黒のときに、野球をやめなかった選手たちと、各球団の幹部の心意気はたいしたものだった。入場料を取ったものの、微々たるもので「餅代にもならなかった」そうである。
その後、甲子園はイモ畑に変わった。しかし、8月の終戦までに育たず収穫なし。知る人はほとんどいない歴史に埋もれた正月大会だった。
(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)
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