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【仰天野球㊙史】巨人がドジャースなら阪神はジャイアンツ…虎の指揮官となった村山実氏が私に見せた猛烈対抗心

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年1月16日 9時26分

【仰天野球㊙史】巨人がドジャースなら阪神はジャイアンツ…虎の指揮官となった村山実氏が私に見せた猛烈対抗心

村山実(C)共同通信社

【仰天野球㊙史】#9

 日本のプロ野球は1960年代に黄金時代を迎えた。職業野球から近代野球の扉を開けた長嶋茂雄が引っ張る巨人のV9が象徴だった。その巨人の連覇を支えたのが「ドジャース戦法」であることは広く知られている。

 一方、ライバルの阪神は、巨人に激しく戦いを挑んだ村山実が70年に投手兼任監督に就いた。この年は村山の他、南海の野村克也、西鉄の稲尾和久が監督に就任。「青年監督トリオ」が生まれた年でもあった。

 監督村山は「今度は監督として巨人をやっつける」と意気込んだ。

 私は東京から大阪に転勤して阪神担当になり、高知県安芸市の春季キャンプを取材した。練習が終わると毎日のように宿舎に行った。

 そんなとき、村山から「私の部屋に来なさい」と声がかかった。

 和室のこたつで向かい合って座ると、村山が書類を手に、「これは野球教書なんだ」と言い、こう付け加えた。

「サンフランシスコ・ジャイアンツのもので、これを参考に練習をしている」

 やはり村山だ、と思った。巨人がドジャースならオレはジャイアンツ、と闘志むき出しというわけである。大リーグでこの2チームはニューヨーク時代からのライバル。揃ってカリフォルニアに移転した歴史を持つ。

 見せてくれた教書は、基本練習が主な内容だった。当時、阪神にはウィリー・カークランドという大型外国人がいた。米ジャイアンツ時代に同じファーストネームを持つメイズ、マッコビーと「ウィリー・トリオ」と呼ばれた一人で、つまようじをくわえているところから、阪神ではドラマ「木枯し紋次郎」に重ねて“紋次郎”との異名がついた。教書はカークランドの紹介だったのではないか。

 村山は「ジャイアンツ戦法」の存在を明かさなかったはずである。挑戦はしたものの、巨人に勝って優勝できなかったからだろう。それどころか3年契約の途中で代理監督に指揮権を奪われたのだから……。“ザトペック投法”は采配となると空回りした。

(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)

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