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【仰天野球㊙史】平然と球場を出入りする「反社」が選手をボコボコに…プロ野球選手会は八百長防止をきっかけに発足した

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年1月23日 9時26分

【仰天野球㊙史】平然と球場を出入りする「反社」が選手をボコボコに…プロ野球選手会は八百長防止をきっかけに発足した

初代会長にパシフィック監督の藤本定義=1946年11月(C)共同通信社

【仰天野球㊙史】#10

 歌舞伎に「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」の名セリフがある。大悪党で釜ゆでの刑に処された石川五右衛門の辞世の句だが、プロ野球の世界でも悪さはいまだに生きている。

 選手会は「八百長」(敗退行為)の防止をきっかけに発足した歴史を持つ。太平洋戦争が終わり、プロ野球が復活した1946年のことだ。

 この頃、今でいう反社の人物が平然として球場に出入りしていた。そこで選手を脅かし、殴ったりするなど異常な状態にあった。八百長試合に失敗した選手への“お礼参り”だった。

 戦禍のあとの日本はその日暮らしだったが、プロ野球選手も多くは貧しく、生活のために野球を売った。南海のプレーイングマネジャー山本一人(のち鶴岡)などは、二塁から不可解なプレーを確認しやすい一塁にポジションを移したという。婦人警官に疑惑の選手を尾行するよう頼んだ球団もあった。

「これでは未来のプロ野球はない」と、各チームの主力が集まった。

 巨人の川上哲治と千葉茂、阪神の若林忠志と藤村富美男、南海の鶴岡、阪急の青田昇と野口二郎、中日の杉浦清ら錚々(そうそう)たるメンバーだった。ここで選手会の発足が決まり「八百長選手は除名」などの規則を取り入れた。昭和の改革だった。

 選手会発足の表向きの理由は、「選手の待遇問題」。生活の安定が敗退行為を防ぐということだった。しかし、現実は「賭け屋排除が急務」の状況で、だからベンチからの監視役として会長には選手ではなくパシフィック監督の藤本定義が就いた。いかに深刻な問題だったかが分かる。

 こうして、悪に手を染めた選手が球界を去っていった。それでも、後年の60年代後半から“黒い霧事件”が起きた。巨人V9を軸とした黄金時代なのに、である。豊かになればなったで悪事がよみがえった。平成、令和になっても小ワルがちょいちょい……。

(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)

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