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【仰天野球㊙史】日本球界からの「クーパーズタウン第1号」は400勝ボール…"黄金の左腕”はまさかの招待に頬をつねった

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年1月30日 9時26分

【仰天野球㊙史】日本球界からの「クーパーズタウン第1号」は400勝ボール…"黄金の左腕”はまさかの招待に頬をつねった

1969(昭和44)年10月10日、通算400勝を達成した金田正一(C)共同通信社

【仰天野球㊙史】#11

 イチローの大リーグ殿堂入りはビッグニュースとして大々的に扱われた。日本の殿堂入りも果たしているからダブル当選。ご同慶の至りである。

 けれども、だ。ニューヨーク州郊外のクーパーズタウンに立つ大リーグの野球殿堂に、日本球界から最初に入ったのは、使い古した1つのボールだった。それは“黄金の左腕”の異名をとる金田正一が400勝を達成したときのボールである。

 最初のロッテ監督になって3年目の1975年1月、クーパーズタウンから招待状が届いた。

「400勝を挙げた貴殿の偉業を表彰したいので、パーティーにぜひ出席されたし」

 記録男がびっくりした。ホンマかいな、と頬をつねったそうである。ボールを入れたアタッシェケースを右手に持って羽田空港に姿を見せた金田は、まるで子供のような笑顔を残して飛び立った。

 帰国後の話によると、「驚いたわ。表彰式にな、ヤンキースのエースだったエド・ロパットをはじめ、捕手のヨギ・ベラ、ビリー・マーチンたちが来てくれた。みんな日米野球で対戦した連中だ。興奮したよ。野球をやっていてよかった、と思ったわ。ホンマにな」。

 55年の日米野球でヤンキースと対戦した金田は当時22歳の絶頂期。史上最高のスイッチヒッターで三冠王のミッキー・マントルを3打席連続三振に仕留めた。その快速球は監督のケーシー・ステンゲルからスカウトされたエピソードを生んだ。

 400勝を挙げたのは巨人最後の69年。破天荒な数字だった。それなのに、日本の殿堂は無関心で声もかからなかった。当時の殿堂は後楽園球場に隣接していたご近所さんなのに、である。その後、代わりのボールが殿堂に置かれ、体裁を整えた。

 “カネダ”の名前は当時の米球界でもっとも知られた。大リーグの殿堂入りを果たしたその年、ヤンキースの至宝といわれるジョー・ディマジオがロッテの鹿児島キャンプを訪れたほどである。

(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)

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