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星野監督は講演会でいきなり「おまえはクソ生意気らしいから野村さんと全然あかんかったんやろ!」【阪神伝説の打点王・今岡真訪 感性のチカラ】#1

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年2月6日 9時26分

星野監督は講演会でいきなり「おまえはクソ生意気らしいから野村さんと全然あかんかったんやろ!」【阪神伝説の打点王・今岡真訪 感性のチカラ】#1

就任1年目の春のキャンプ初日、ナインに訓示する阪神・星野監督(C)共同通信社

【阪神伝説の打点王・今岡真訪 感性のチカラ】#1

 聴衆がどっと沸いた。

 2001年12月に阪神監督に就任したばかりの星野仙一さんの講演会に、僕と数人の阪神の選手が呼ばれた。そこで壇上の星野監督が突然、こう言ったのだ。

「今岡、おまえはクソ生意気らしいな。だから、野村さん(克也=前監督)と全然あかんかったんやろ!」

 闘将はいたずらっぽく笑いながら僕を見ている。

 野村前監督は僕について「やる気があるのか、ないのかわからん」「注意するとやる気のないプレーをする」「チームのことを考えずに自分の打率しか計算していないのと違うか」などとマスコミを通じて批判していた。「今岡はノムさんに嫌われている」というのは、ファンの間で有名だった。もちろん、それを知っている星野監督が場内を盛り上げようと言ったことだ。

「おまえ、何かあるやろ」

 そう促されて上がった壇上で、僕はマイクを握りながらこう言った。

「ホントに何の実績もない僕の名前を全国区にしてくれて、野村監督には感謝しています!」

 そんな皮肉を言ってみると、場内は「おー!」とさらに沸いた。

「おまえ、おもろいやっちゃな」

 星野監督は手をたたきながら笑っていた。

 プロ1年目の1997年は98試合。98、99、01年はいずれも120試合以上に出場した。大した成績は残していないものの、当時はプロ6年目を迎え「タイガースの主力格」という自負はあった。ただ、世間の評価は「能力は高いが、波のある選手」というものだった。

■ナインに「優勝するんや」とゲキ

 キャンプイン前日の1月31日、星野監督はナインを前にこう宣言をした。

「優勝するんや! やるからには優勝するぞ!」

 阪神は僕の入団2年目から4年連続最下位。甲子園に行くのが嫌になるほど弱かった。そのうち3年間は野村監督時代のもの。あの頃は恥ずかしくて、とても「優勝」なんて口にできるチームではなかった。ナインの合言葉は「とりあえず最下位脱出」だから「またまた~」「は? 何言うてんの」と冷ややかに見ていた選手が大半だった。

 同時に個人的に星野監督に呼ばれ、こう通達されたのだ。

「好きなようにさしたるから、やってみろ」

 考えるより感性を大事にしたい僕は、野村前監督の「ID」という名のデータを詰め込む野球は性に合わなかった。イヤイヤやっているから結果も出ず、前年までは二軍で油を売る日々が続いた。

 星野監督が講演会で言ったように、あの当時、名将の誉れが高かった野村前監督の言うことを聞かない選手は僕以外おらず、生意気なのは間違いなかった。人から指図されるのが嫌で、放っておいて欲しかったのだ。「好きにやれ」は待ち望んだ言葉のはずなのに、同時に怖さが襲ってきた。星野監督はずっと僕をにらんでいた。

「その代わり、ダメやったら自分でやめろよ! 俺にクビって言わせるなよ! 分かってるよな?」

 そう言われたわけではないのだが、闘将の目がそう語っていた。

 自分の好きなようにやって結果が出なかったら逃げ場がない。もう「やめます」って自分から言うしかない。初めて野球をやめないといけないという恐怖心に他ならなかった。

 そして始まった春のキャンプ。僕は周囲が驚く行動に出る。

(今岡真訪/元プロ野球選手)

  ◇  ◇  ◇

 覚悟を決めて臨んだキャンプで、今岡氏はどんな行動に打って出たのか。

【連載第2回】は関連記事から要チェックだ。

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