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ある認知症の女性は「主役体験」によって徘徊しなくなった【認知症の人が考えていること、心の裡】#3

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年2月6日 9時26分

ある認知症の女性は「主役体験」によって徘徊しなくなった【認知症の人が考えていること、心の裡】#3

他者から認められると自信を取り戻していく

【認知症の人が考えていること、心の裡】#3

 人生の一コマを物語に例えれば、ワンシーンであっても物語の主役になりたいと思うのは、認知症の人も同じである。主役になって称賛されたら気分がいいし、生きていることを実感できる。

 でも認知症の人は常に無視されているから、そんな機会はまずやってこない。重度認知症デイケア「小山のおうち」(出雲市)では、誰でも主役になれる環境を整えていた。

 例えば、認知症の人が何を語っても、どんな歌を歌っても、全員が拍手で絶賛するのもその一つだ。他者から認められたら主役になった気分になれるのだからこんな楽しいことはない。それだけで彼らは自信を取り戻していくのである。

 ずいぶん前だが、婦佐さんという戦前生まれの女性がいた。おばあちゃん思いの一家なのに、婦佐さんが認知症になると徘徊するようになった。

 彼女の自慢は料理などの家事だったが、認知症が進行すると味付けがおかしくなったり、鍋を焦がしたりと、失敗が重なった。

 家族は心配したのだろう。息子の嫁はそれまで勤めていた仕事をやめ、婦佐さんに代わって家事全般を引き受けることになった。これだけでも息子夫婦の母親思いが伝わってくる。

 ところが婦佐さんは「独りぼっちだから」とつぶやくようになり、玄関に「帰らせていただきます」と置き手紙を残して出ていくようになった。

 やがて地元でも有名な「徘徊老人」になるのだが、やさしい家族に囲まれながら、なぜ家を出たがるのだろうか。

 当時、婦佐さんはこんな手記を書いている。

〈物忘れがひどく、自分ながら、これからどうなるかと心配でたまらない様な毎日が続いていました。(略)物忘れが気にかかり、夜はおそくなるまで眠れませんでした。私はもうこれで何も出来なくなるのかと悲しく、夜になると涙が流れて困ってしまいました〉

 自分が何者で、なぜここに存在しているかが分かるのも記憶があるからだ。記憶が消えていくと、自己の存在が消えていくような不安におそわれる。そんな彼女を支えていたのが炊事だった。

 家族は親切のつもりで炊事を引き受けたのだが、婦佐さんは生き甲斐だった炊事を取り上げられたと受け止めたらしく、「ここは自分の居場所ではない、帰ります」と出ていくようになったのである。

 ある日、「小山のおうち」で、戦前の文部省唱歌「那須与一」を歌ったところ、スタッフらからアンコールが飛ぶほど喜ばれた。家に帰ると孫たちからもせがまれ、歌ってみると家族は拍手喝采して喜んだ。それをきっかけに家族との会話が増え、いつの間にか婦佐さんの徘徊は自然消滅してしまったのである。

 ささいなことでも拍手喝采されたら、主役になったようで気分がいい。常に人格を否定されている認知症の人ならなおさらだろう。卑近な例をあげて恐縮だが、飲み屋で隣の美女からヨイショされて主役になったら気分がいいのと同じだ。認知症の人も同じで、気分がよければ、怒ったり家を出ていったりすることもなくなる。当然だろう。

(奥野修司/ノンフィクション作家)

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