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認知症の母は、「必要」とされると暴言や暴力がなくなった【認知症の人が考えていること、心の裡】#4

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年2月7日 9時26分

認知症の母は、「必要」とされると暴言や暴力がなくなった【認知症の人が考えていること、心の裡】#4

役に立って感謝されたら気分がいい

【認知症の人が考えていること、心の裡】#4

 認知症の人の心を忖度すれば、おそらく大半は孤独を感じているのではないだろうか。孤独とは一人でいることではなく、一人ぼっちだと感じる状態のことだ。

 むろん人や社会とのつながりを絶たれた状態もそうだが、誰からも必要とされていない、あるいは、自分は社会にとって価値がない存在と感じさせる社会的孤独もそうだろう。

 普段、認知症の人は誰かに話しかけられることはないし、存在の価値を認めてもらうこともない。それなのに、家族から無視されたら、こんなつらいことはないだろう。なぜなら、認知症の人にとって家族がすべてだからである。もし認知症の人が他者から必要とされていることを実感したらどうだろうか。

 絵美さんが嫁いでから母は1人暮らしをしていたが、認知症になって絵美さんの嫁ぎ先で引き取ることになった。ところが嫁ぎ先の家族になかなか馴染めず、かといって絵美さんも病弱の夫を抱えて働いていたから母の相手になれなかった。

 料理が好きだった母は絵美さんを手伝おうとするが、茶碗を洗ってもらっても、あとで洗い直す手間を考えて「いいよ、いいよ」と断ってきた。やがて母は大声をあげて子供たちとバトルを繰り返すようになり、さらに家を飛び出して行方不明になることが重なるようになった。

 ところが、子供たちが学校を卒業して外に出ると時間に余裕ができたらしく、絵美さんは母から「お茶碗を洗ってあげるよ」と言われると、「お願いね」と頼むようになった。そんな母は実にうれしそうだった。それを見た絵美さんは、茶碗を洗うことは母にとって幸せなことなんだと気づき、積極的に頼むようになった。さらに洗い終わったら、母に「ありがとう」と感謝するようにした。

 これまで母と一緒に風呂に入ることはなかったが、背中を洗ってあげたのがきっかけで、一緒に入るようになったのもその頃だ。今は以前の母とは思えないほど穏やかだという。

 群馬県に住む麻子さんの母も、ちょっとしたことがきっかけで笑顔を取り戻した一人だ。

 認知症の母は、機嫌がいいときは何事もないのに、気分が沈むと「作話」で家族の悪口を言いまくった。とりわけ父には、男のような声音で「てめえなんか死んでしまえ!」などと罵った。あるとき、麻子さんは母にこんな「作話」で応じた。

「これから仕事に出かけるんだけど、財布に1万円札しかないの。1000円札に両替できないかしら」

 むろん母の財布には事前に1000円札を入れておいた。母が財布を開けると驚いた顔で「ちょうどあるわ」と両替してくれた。娘が相手でも、役に立って感謝されたら気分がいい。認知症の人にはそれだけで生きがいになる。生きがいが不安を抑えてくれるのだろう。それ以来、母の暴言や暴力はすっかり消えた。

 認知症になって何の役にも立たないと諦めていたのに、自分の行動が役に立って喜んでもらえたことで周辺症状がなくなったのである。

(奥野修司/ノンフィクション作家)

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