決定的亀裂の要因…金本監督が「掛布解任」を決めた事件

日刊ゲンダイDIGITAL / 2017年9月14日 9時26分

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金本監督(左)と掛布二軍監督/(C)日刊ゲンダイ

「掛布の考えもわかるが、現場の最高責任者は金本監督。仕方ないやろな……」

 今季限りでの退任が決まった掛布二軍監督(62)について、あるOBはこう言った。

 12日付の日刊ゲンダイに掲載した通り、掛布二軍監督の退任は金本監督(49)との指導方針の違いが最大の理由だった。

 金本監督は1991年のドラフト4位で東北福祉大から広島に入団。三村敏之二軍監督(当時=故人)や山本一義コーチに厳しく育てられた。「本当に朝から晩までひたすら練習させられた。あれは人間扱いではなかった」と、当時を懐かしく語ることがある。

 広島の厳しい練習は伝統だ。古葉竹識監督が黄金時代を築いた70年代から80年代には練習中に顔面パンチが飛んできて鼻血を流すのは当たり前。コーチが選手を殴って指導することに異を唱える者は皆無だった。さすがに現在の広島に鉄拳指導は見られないものの、緒方監督も練習の虫だっただけに、一、二軍ともに練習量の多さは今も12球団トップといえる。

 金本監督はそんな古巣の指導を理想と考えていて、それは監督を支えるコーチ陣も同じだ。矢野燿大作戦兼バッテリーコーチ(48)は中日時代、星野監督の鉄拳指導に耐えた。片岡篤史打撃コーチ(48)も日本ハム時代に、「厳しさと練習量の多さでは球界で三指に入る」といわれた上田利治監督の薫陶を受けている。


■選手の長所を褒めて自主性に任せる

 一軍首脳陣は「鉄は熱いうちに打て」の例え通り、中でも若手の多い二軍ではなおさら厳しい練習が必要との考えで一致しているし、掛布二軍監督にもその方針に従って欲しかった。しかし、二軍の現場は金本監督が求める「地獄の練習」とはあまりにかけ離れたものだったという。

 前出のOBが言う。

「千葉の習志野高からテスト生同然のドラフト6位で阪神入りした掛布は当時、マッチ棒みたいに細かった。バットを振って、振って、遠征先では酒を飲んで宿舎に戻ってからも夜中にバットを振っていた。不断の努力で4番に成長した。でも、平成生まれの今の選手に同じことを求めても無理だし、強制的な練習には効果がないという考えだった。選手の長所を褒めて、練習はある程度、自主性に任せる。それが金本監督には許せなかった。自分が激しく怒って二軍に落とした江越、新井良らが二軍では首脳陣から厳しいことは何も言われない。一軍では休日返上でバットを振らされていた高山には、空振り三振しても掛布監督から『いいよ、今のスイングは』という声が飛ぶ。相手ベンチから『阪神は三振しても褒められるのかよ』と失笑を買ったものです」

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