再登板の国士舘・永田監督に聞く “甲子園請負監督”の本音

日刊ゲンダイDIGITAL / 2019年3月26日 17時0分

写真

国士舘の永田監督(C)日刊ゲンダイ

 27日に登場する国士舘(東京)の永田昌弘監督(61)は2016年9月、11年ぶりで監督に復帰し、今年4年目を迎える。1度目は83年から05年まで指揮を執り、春7回、夏1回、甲子園出場。91、93年の春は4強入りした。06年から教え子である箕野豪現助監督にバトンを託し、系列の国士舘大の監督を務めていた。同監督は学校法人国士舘の事務職員。いわゆる「甲子園請負監督」として結果が求められる立場だ。復帰の経緯や職業監督ならではの苦労を聞いた。

 ◇  ◇  ◇

 ――監督に復帰した経緯は?

「箕野君がパナソニックでプレーしていたときに監督にならないかと声をかけ、僕は大学の監督になった。09年春以降、甲子園から遠ざかり、法人として高校、大学をトータルで強化したい、ということで高校に戻ることになった。いわゆる人事異動です。僕は65歳で定年を迎える。法人としてはその間にもう一度、箕野君に指導者として勉強してもらって、もう1回監督をやらせたいという意向。箕野君にはあと4年の間にいろんなことを盗み取ってほしい」

■言葉だけは勘弁

 ――後進の指導と再建を託された。

「僕は優しくない。子どもたちにケチョンケチョンに言います。昔より言わなくなりましたけど、就任する際に『言葉だけは勘弁してください』と学校側には伝えた。本当は楽しくやりたいし、大学監督時代もそうだったが、子どもたちの気質の変化も感じる。でも、ウチの場合は野球のイロハから教えていかないといけない。それでは勝てないと思っています」

 ――2度目の就任で待遇は良くなりましたか?

「(苦笑いを浮かべながら)変わりませんね。職員ですからね。ボーナス? 甲子園に連れてきても何もないですよ。周りは出ると思っているみたいですけど、僕自身はウチは出ないからなという感じで慣れています」

 ――何年後に甲子園に出ろ、というようなノルマは?

「1度目の監督のときから1年でも早くと思っていたが、ノルマは一度も言われたことはありません。センバツに出たことでホッとした? ないと言えばウソになります。今の子たちが新たな一ページを開いてくれた。これから甲子園の常連校にしていかないといけない」

 ――甲子園常連校として復活するためには優秀な中学生に来てもらうことも重要になる。

「今の部員数は2学年で65人。野球、柔道、剣道、サッカー各部で1学年総勢50人ほどのスポーツクラスがあり、野球部は13人いる。このスポーツクラスに限り入部を認める、というくらいのことも必要かもしれない。また今の時代、甲子園に3年出ないと忘れられる。甲子園に出ていないからと入学を断られるケースもある。今回センバツに出ることができたことで、中学生からの反応はいいような感じがします。やはり勝たないとダメなんですよね(苦笑い)」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング