昨年12月に上場廃止のミサワホーム 南極基地と共に歩んだ歴史

日刊ゲンダイDIGITAL / 2020年1月8日 9時26分

写真

南極昭和基地はプレハブ建築の元祖といわれる(同基地に新しく建つ建物の仮組立の4棟、1966年、東京・深川で)/(C)共同通信社

【企業深層研究】ミサワホーム(上)

 プレハブ住宅のパイオニア、ミサワホームは昨年12月30日、東京証券取引所1部を上場廃止となり、株式市場の表舞台から消えた。売買最終日(12月27日)は前日比41円安の1153円で取引を終えた。昨年の高値は1302円(11月7日)、安値は694円(2月13日)だった。

 トヨタ自動車とパナソニックは住宅関連事業を統合。今月、共同出資会社「プライム・ライフ・テクノロジーズ」を立ち上げた。トヨタは子会社のトヨタホーム、トヨタホームの子会社、ミサワホームを新会社に移管。パナソニックは、パナソニックホームズや松村組など子会社3社を移した。

 トヨタホームは上場していないため、親会社のトヨタがミサワホームを株式交換で完全子会社にした。ミサワホーム1株に対して、トヨタ株0・155株を割り当てた。昨年11月26日に開催したミサワホームの臨時株主総会で株式交換を承認。ミサワホームはトヨタの完全子会社となり、上場廃止となった。

 会社の沿革を見ておこう。三澤木材のプレハブ事業部として発足。年商25億円を達成したのを機に、1967年10月、ミサワホームを立ち上げた。同年、第9次南極観測越冬隊の昭和基地の居住棟及びヘリコプター格納庫のパネル・部材を特命で製作した。翌68年には第10次越冬隊の居住棟を直接受注した。これでミサワホームの知名度は全国区になった。

 南極観測隊第1次越冬隊長の西堀栄三郎はこう回想している。

〈私が初めて行くことになったのは、昭和31(1956)年。それより前では、明治45年に白瀬中尉が行かれただけで、私たちにとっては、まったくの未知の世界でした。ですから、越冬隊が住むための住居がどんな建物であるべきか、ということもわからない。オーストラリアのロウ博士の意見を頼りに日本で作ったのです。構造的には今のミサワホームの建物と同じで、断熱材を合板ではさんだパネルによるもの。これを組んで作ったわけです〉(高木純二著「ミサワホーム 三澤千代治にみる発想・戦略・経営」)

 気温はマイナス45度まで下がり、風速60メートルの風が吹くという、南極の厳しい気象条件に耐えうる基地の建物は、強度はもちろん、荒涼とした氷原で、1年間の越冬生活をおくる隊員に、室内を約20度に保ち、快適に過ごせる空間を提供することが必須条件だった。

 こうしたもろもろの条件をほぼ満たした建物として、ミサワホームの120ミリの厚さの木質断熱パネルが採用になった。

 これ以降、基地の主要建物をミサワが独占するようになる。現在、昭和基地には56棟の建物があり、このうち36棟はミサワホーム製である。

 67年当時、ミサワホームは無名の住宅会社にすぎなかった。国家プロジェクトの一翼を担うことで、創業者三澤千代治が考案した木質パネル接着工法の技術力の高さが証明された。

 三澤がミサワホームを設立した当時は住宅ブームで、大小300社以上の住宅メーカーが乱立していた。後発のミサワホームはもちろんどん尻だった。

 南極越冬隊の居住棟を建てたことでミサワホームは人気ブランドとなり、プレハブ住宅のトップメーカーへと駆け上がっていく。

 ミサワホームの原点は南極だが、月面での有人基地建設に向けた第一歩を踏み出した。

 2030年中には人類が月で活動するようになるとみられている。そのとき有人基地が必要になる。宇宙航空研究開発機構(JAXA)はミサワホームなどと共同開発した施設で、月面基地に必要な性能や住み心地の実証実験を、20年2月から南極で始める。

 ミサワホームは約半世紀にわたって南極・昭和基地の建設に関わってきた。このプロジェクトを通じて培ってきた技術を発展させ、さらに厳しい条件下となる宇宙で、住まいの実用化を目指す。宇宙でも、昭和基地プロジェクトの技術は応用できると、自信をのぞかせる。

 月面の住宅はSF小説に出てくるようなレベルの話ではなくなった。月面住宅一番乗りに強い意欲を見せている。

 技術のミサワの名声を高めた「木質パネル接着工法」を考案した三澤千代治は、既にミサワホームを去っている。次回(下)は天才技術者・三澤の軌跡をたどることにする。

 =敬称略

(有森隆/ジャーナリスト)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング