河西昌枝は顔面蒼白…長嶋茂雄の婚約で周囲は身投げを心配した【東京五輪への鎮魂歌 消えたオリンピアン】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2020年6月26日 9時26分

写真

殿堂入り授賞式には着物で(1964年東京五輪女子バレー金メダリストの河西昌枝さん/(提供写真)

【東京五輪への鎮魂歌 消えたオリンピアン】河西昌枝さん(下)

「河西さん、海に飛び込むかもしれん!」

「そうや、つかまえておかなあかんわ!」

 1964年東京オリンピックが終了して1カ月後の11月末。金メダルを獲得した東洋の魔女は、中国や香港に遠征し、船での帰途のときだった。

 長嶋茂雄が婚約発表したことをニュースで知った河西昌枝は、顔面蒼白となった。

 それを見た選手たちは、冒頭のような叫び声を上げたのだ……。

 元NHK大阪放送局スポーツ部ディレクターの毛利泰子が証言する。

「帰国後に選手たちから聞いた話ですが、長嶋さんの婚約を知った河西さんは、ひどく動揺していたそうです。長嶋さんを好きなのを選手たちは知っていたため海に身投げするかもと心配し、ずっと河西さんを見守っていたんですね」

 そのショックも時が癒やしてくれたのだろう。32歳になる2カ月前の翌65年5月、河西は当時の首相・佐藤栄作、寛子夫妻の媒酌で2歳年上の自衛官と晴れて結婚した。

笑みを浮かべ、懐かしそうに

「私も結婚式に招待されたけど、一番喜んだのは監督の大松(博文)さんだと思う。オリンピックで金メダルを獲得するため、河西さんを30すぎても引退させなかったしね。ただ、私に言わせれば大松さんも犠牲者だった。日紡貝塚では営繕課長の役職にあったけど、役員たちは『たかがオリンピックで金メダルを取っても、それがどうした』という扱い。それを知った奥さんは『大松を返してください!』と言っていた。たしか大松さんは、オリンピック終了2カ月後の師走に日紡貝塚を退職した。燃え尽きたんでしょうね」

 私を前にそう証言する毛利は、持参した古いアルバムを開いた。そこには河西とのツーショット写真が収められていた。

「この写真は、2008年に河西さんがバレーボール殿堂入りしたときのもの。『毛ちゃん、一緒に行こうよ』って。授賞式は東京オリンピックで金メダルを取った日と同じ10月23日。それで授賞式のときは和服がいいと考えて、私が着物の着方を教えたのね。殿堂があるアメリカ・マサチューセッツ州のホルヨークという町は、静かな落ち着いた田舎の町。河西さん、笑みを浮かべ、懐かしそうに呟いていた。『亡くなられた大松先生、元気な長嶋さんも喜んでくれていますよね』って……」

 2歳年下であった河西。彼女への毛利の思いは今も尽きない。

 2回目の東京オリンピック開催が決まったのは2013年9月8日未明。その1カ月後の10月3日だ。河西昌枝は逝った。享年80――。

▽かさい まさえ 1933年山梨県生まれ。巨摩高校卒業後に日紡に入社し、62年世界選手権金。64年東京五輪金。65年に自衛官と結婚して中村姓に。2008年にバレーボール殿堂入りを果たした。

(岡邦行/ルポライター)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング