【タイ】津波被災10周年の追悼式典にプラユット首相が出席
Global News Asia / 2014年12月13日 12時22分
2014年12月10日、タイの各メディアによると、スマトラ島沖地震による津波の被災から今年10年目となる南部のパンガー県で開催される追悼式典へのプラユット首相の出席が正式に発表された。
追悼式典は、パンガー県タクアパー地区カオラック、バーンニヤンに整備された813警備艇記念公園で26日と27日に開かれる。
首相らは、式典の開会式に1300人の招待客とともに列席し、その後、ナムケム村とチャイパタナ・カチャードタイの復興施設を訪問する予定。
2004年12月26日にスマトラ島北部西岸海上の深さ10キロで発生した地震は、マグニチュード8.1という巨大なものだった。しかし、地震による直接の被害よりもその後に発生した津波によって多くの人命が犠牲となった。
犠牲者は、インド洋沿岸各国を合わせて20万人とも言われる。タイでの犠牲者は6000人弱だったが、そのうち4000人がパンガー県カオラック周辺に集中した。
ちなみに、タイではそれまで「鬼の波」という意味のクルンヤックと呼ばれていたが、この後、スナーミと呼ばれるようになった。
追悼式典が行なわれる警備艇813号は、当時カオラックのリゾートに滞在していた王族の警備のため、沿岸に停泊していた。津波の巨大な力で数キロも内陸に流され、打ち上げられた。公園はその打上げられた場所に整備された。
また、プアユット首相が訪れる予定のナムケム村の岬は、当時襲ってきた津波の高さを示すモニュメントと犠牲者の名前や顔写真が刻まれている公園になっている。
現在、パンガー県タクアパーやカオラックといった津波の被災地は、見事に復興を遂げている。被災した直後から公的機関はもとより、多くの民間団体や個人が支援に現地入りした。被災者への支援はいま思えば、円滑に行なわれた。仮設住宅はすぐに整備され、1年半後には被災者全員が新しい住居に移っていった。
津波で心身に傷を負った人々のケアも、NGOなどが積極的に取り組み、孤児となった子供たちを引き取って養育してきた夫妻のもとからは、すでに何人も大学などへ巣立っていった。
冬もなく、暖かい気候だからこそ簡易な住宅で済み、復興も早かったという見方もある。しかし、特筆すべきは、住民が国や行政に任せきりにせず、自分たちや支援者と独自に積極的に動いたことが、現在の復興の礎になっていることは確かだ。
欧米人やダイバーに有名なリゾート地でもあるカオラック。近年は、被災前よりも多くの観光客が訪れている。被災から10回目のハイシーズンとなる今年でも、ここを訪れる日本人は少ない。カオラックの当時と現在の様子については、いずれ機会をあらためて紹介したいと思う。
【翻訳/編集 : そむちゃい吉田】
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