長谷部誠選手・スマトラ地震の被災地で高校生と懇談ーユニセフ
Global News Asia / 2014年12月23日 9時10分
2014年12月22日、冬期休暇前のリーグ最終戦を終えた・長谷部誠選手は、フランクフルトから2日間かけて、厚い雲に覆われ、時折小雨がまじる天候が続くインドネシア、スマトラ島の西端 バンダ・アチェに到着した。
長谷部誠選手が最初に向かったのは、バンダ・アチェ市内各地に設置された共同墓地の一つ、震災犠牲者約4万8000人が眠るランバロ(Lambaro)共同墓地。当時、トラックで次々と運ばれてきたご遺体は、身元を確認する余裕もなく、この地に何層にも重ねられて埋葬されたという。長谷部選手は、埋葬された人々の名を刻んだ墓標も無い墓地に立つモニュメントに、花を献げた。
この後、長谷部誠選手は、バンダ・アチェ第一高等学校で、震災当時小学生や就学前の年齢だった18人の高校生(男性7人、女性11人)と懇談した。生徒たちの中には、両親や親戚、友人を失った生徒も多く、「自分は今でも地震がくると居ても立ってもいられなくなる。特に子どもにとって、心のケアの支援はとても大切だと思う。」「災害から身を守るには、正しい知識が最も必要だと思う。当時、多くの人が、どうしたら良いのか分からなかった。でも今は、地震が来たら、津波が来たら何をすれば良いのかわかる。ハードも大切だけど、そうしたソフトがとても大切だ。」「私は大変なことを経験したけど、今はこうして高校で勉強することができている。一方で、インドネシアには、まだ学校にも通えない子どもたちがいる。将来は、そうした子どもたちのために何か役に立てる仕事をしたい。」生徒たちは、約1時間の対話の中で、あの未曾有の大災害がもたらした様々な困難をどう克服してきたのか、これからどう生きていきたいのか、長谷部誠選手に熱く語った。
長谷部誠選手は、「自然災害は防ぐ事はできない。でも、僕たちはそれに備えることはできる。10年前にあの大災害を経験した若者が、こんなに真摯に、そして真剣に、防災や復興、そして地域や国の将来を考えていることを知って、そうした若者に出会う事ができて、本当に嬉しかった。こんな若者がいるインドネシアは、もしまた大きな災害が来ても絶対大丈夫だと、そう確信しました。今日ここで高校生から伺ったお話は、日本に帰って、一人でも多くの人たちに伝えたいと思います」と話した。
次に、長谷部誠選手は、津波で係留地から2.6km流され、現在、メモリアルパークとして保存されている発電船や、震災後、日本などの支援で各所に建設された津波避難タワー、民家の屋根に打ち上げられた漁船などの震災遺構を訪れ、緊急活動支援にもあたっていたユニセフの現地スタッフから、当時の様子を聞いた。
【編集 : TY】
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