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【コラム】コリアンガードを知っているだろうか

Global News Asia / 2022年1月1日 7時0分

韓国のイメージ

 「コリアンガード」とは、日帝時代に、日本人とされ帆量や労働者の監視役だった朝鮮人の「日本軍兵士」のことである。第二次世界大戦末期に、日本軍は軍事物資の補給路として、タイとビルマ(現ミャンマー)をつなぐ鉄道建設に乗り出した。その工事に、連合軍捕虜や統治していたアジア各国から徴用した日本人ではない日本人=アジア人労働者など20万人が動員されたと言う。飢えや感染症などでそのうち数万人が死んだ。

 動員されたアジア人の中では、朝鮮人が最も多かった。いくら日本語が普及していたとはいえ、言葉はストレートには通じない。富裕層から選ばれた朝鮮人が通訳も兼ねて、建設現場での監視役に雇われた。その中には、わずか17歳の朝鮮人の青年もいた。

 疲れて動けない同胞に「休むな」と命じる。体罰も加えなければならない。それが、まだ少年の面影を残していても、選ばれて「日本軍人」になれたからにはやらなければならない。やらなければ、日本人の上官から激しい体罰を受けるからだ。

 朝鮮はその時、独立国家ではなく、朝鮮人たりとも、すべてが日本人であったからだ。もちろん、軍人として徴用される選ばれし朝鮮人もいて、死んだとて家族にも知らされることなく東南アジアの土になるしかない朝鮮人もいる。

 戦後、その青年は捕虜を虐待した「日本軍人」として、軍事裁判にかけられた。そして、死刑判決を受けた。朝鮮人だからそんな刑を受けたのではない。映画にもなった「私は貝になりたい」の主人公のように、地方の一理容師でしかないのに、赤紙が来たために軍人になり、良かれと思ってきんぴらゴボウを作って現地の人に出したために、「虐待として木の根を食べさせられた」と訴えられ、死刑になった日本人もいる。そんな時代だったのだ。徴用ではなく、望んで職業軍人になった者や、戦いを積極的に仕掛けた側の政治家、たとえば、総理大臣の孫を持った戦犯が助かる。おかしな時代だった。

 死刑を言い渡された朝鮮人の青年。死刑は執行されず、巣鴨プリズンに11年間収容された。朝鮮半島の出身者のBC級戦犯は、23人死刑が執行された。彼に20代の青春はなかった。でも、生きていた。

 サンフランシスコ講和条約の発効に伴い、朝鮮人は日本国籍を失う。日本軍人であったはずの朝鮮人は、恩給や遺族年金の対象外になった。彼は、もう朝鮮半島が北朝鮮と韓国になっても、母国には帰れなかった。なぜなら、帰っても同胞を虐待した元日本人兵士と言う汚名はそのままだからだ。

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