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【コラム】インパール作戦ゆかりの地クンユアム再訪記:3 〜クンユアムの子どもたち

Global News Asia / 2022年8月26日 7時0分

日本のNPO法人SB.HEART STATIONからの寄贈品の贈呈式

 インパール作戦の出発地であり、敗走してきた兵士たちが命からがらたどり着いた地でもあるメーホンソン県クンユアム。この地にはいくつもの慰霊塔が建てられている。わたしがこの地を初めて訪れたのは2013年。タイの日本語情報誌での特集記事の取材としてだった。そして今回9年ぶりにクンユアムを訪れることができた。日本ともゆかりの深いクンユアムの今についてをここで伝えたいと思う。

クンユアムの子どもたち

 クンユアムに来たもう一つの目的は、日本のNPO法人SB.HEART STATION(埼玉県さいたま市、小川功代表)から贈られた日本の子ども達から寄せられた靴や文具を届けることだった。蔭山先生の計らいで、勤務先でもある町の中心部にある大型校クンユアムウィタヤー校(生徒数約1500名)と、町から30分ほど山中にあるカムスック村の生徒数32人の小さな学校にも届けることができた。

 他にも何ヵ所かの学校を見せてもらったのだが、子ども達が思いのほか多くいたことに驚かされた。というのは、タイは日本以上のスピードで少子高齢化が進行しており、特に地方では多くの学校で統廃合の話しが出てきているからだ。統廃合がすでに始まっているタイ東北部では、統合した学校ですら100人に満たない学校もある。ここでは、児童学生のほとんどがミャンマーとの国境近くの山中に住んでいるため町で寄宿生活をしている。それが町に子どもが多い原因の一つだ。

 そして、日タイ友好記念館の裏にあるチューチャイ氏が建てた旧戦争博物館の建物は、今では幼稚園と小学校として使われているのだが、開校以来児童の年齢と共に学年が増えて、今年ちょうど6年生まで揃い、生徒数は300人になったそうだ。先述の大型校には、中学から高校までの6学年で1,500人が在籍。市内にある他の学校にも2〜300人ずつ在籍しているとの事。

 また、メーホンソン県は大きな産業もなく、山岳地という地形から大きな工場もない。そのため、農業が主産業になっているのだが、その年収は10,000バーツ(約38,000円)にも満たない家庭が多い。そのため、進学せずに仕事をする子どもも少なくないし、途中で来なくなる生徒も少なくない。今回わたしが会った子どもたちは、まだ恵まれている方なのかもしれない。実際、山中の農村部を見た時には小学生くらいの子どもが日中から野菜の積み下ろしを手伝っていた。

 わたしは以前、ラオスの山中を巡ったことがあるのだが、その時の子どもたちの笑顔を見て、「もしかしたら、この子たちはこのまま外の世界を知らない方が幸せなのかも知れないな。」と思ったことがある。物質が豊かになり、情報が溢れかえる現代。その中で失われ、消えてしまった大切なものが、その笑顔にはあるように思えたのだ。あの純朴でくったくのない笑顔が曇らないように、我々大人に出来ることは何か、するべきことは何か。大いに考えさせられた。わたし一人に出来ることはたかが知れているが、子どもたちの行く末はこれからも見守っていきたい。
【取材 : そむちゃい吉田】

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