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〈露天風呂〉とはまた違う「味」がある…温泉学者を魅了した、青森県で400年以上続く〈外湯〉の名湯

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年6月23日 16時0分

〈露天風呂〉とはまた違う「味」がある…温泉学者を魅了した、青森県で400年以上続く〈外湯〉の名湯

(※写真はイメージです/PIXTA)

旅館に併設されていない温泉を「外湯」といいます。外湯のなかには、芸術品のような造りのものがあるなど、街並みとあわせて楽しむことができます。全国の温泉地で出会える、さまざまな「外湯」の魅力を、温泉学者であり、医学博士でもある松田忠徳氏の著書『全国温泉大全: 湯めぐりをもっと楽しむ極意』(東京書籍)より、見ていきましょう。

露天風呂とは一味違う「外湯」の魅力とは?

東西の温泉場の代表である草津温泉別府温泉などは、「外湯」のある代表的な温泉場でもあります。

外湯のことを露天風呂と勘違いしている人もいるようですが、江戸時代はもちろんのこと、戦前(太平洋戦争前)までは旅館に温泉浴場をもたないところが一般的で、宿泊客は旅館の外の風呂、すなわち外湯に出かけたものです。湯治客もそうで、現在でも山口県の有名な湯治場俵山温泉では、湯客は「町の湯」「白猿の湯」の2軒の外湯へ入浴に行きます。

その昔、いち早く宿の中に温泉を引くことのできたところは屋号に「内湯旅館」などと冠して、旅館の「格式の差」をアピールしたものです。その名残を25年ほど前に青森県内ではよく知られた温湯(ぬるゆ)温泉で経験したことがあります。

温湯の温泉場は地元の人に「鶴の名湯」と呼ばれる「温湯温泉共同浴場」を取り巻くように、旅館や商店が立ち並んで温泉場を形成しています。ここに「内湯旅館 飯塚旅館」と看板を掲げた木造2階建てのいぶし銀の旅館に飛び込みで宿泊させてもらったのです。

「飯塚旅館」は大正2(1913)年に建てられた見事な造りで感動しましたし、内風呂も確かに備えていました。かつては他の旅館の湯客は徒歩数分の外湯「鶴の湯」へ通っており、格式の高い宿であることが「内湯旅館」という屋号でわかったものです。

400年以上続く「鶴の湯」は温湯温泉発祥の湯で知られ、「飯塚旅館」に泊まった際に「鶴の湯」にも入浴しました。噂にたがわぬ湯に魅せられて以来、黒石市界隈の温泉に来るたびに必ず立ち寄るようにしています。

ところで温泉名は「温湯」ですが、源泉温度は50度以上もある「あつ湯」なのです。雪深い青森の人たちは「よく温まる湯」なので、温湯と名付けたようです。現在の「鶴の湯」は快適な施設に建て替えられています。お薦めの共同浴場です。

話を元に戻します。外湯、つまり共同湯――、これが複数ある温泉場は湯量が豊富であることの証しですし、その多くは活気にあふれた温泉場を形成しています。

外湯から温泉場は始まった

昔、近隣から温泉(共同湯)に入ろうと人々が集まり、そうした湯客を目当てに商売をする人も現れ、市が立つ。海の幸、山の幸を持ち寄ってくるわけです。

山形県の日本海側に湯煙を上げるあつみ(温海)温泉では、数百年にも及ぶ朝市が現在でも続いています。山菜や地元の畑で採れた農産物、もちろん日本海の新鮮な魚介類も並びます。遠方からの湯客がふえてくると、今度はそこに旅館が生まれるのも自然の流れでした。

温泉場へ来るということは、病気を治癒するためです。したがって、温泉は信仰と密接な関係にあり、歴史のある温泉場には必ず有名な神社仏閣があるものです。

とくに湯治が盛んになる江戸時代以降、共同湯(外湯)の周りを、旅館、市場、土産物屋、遊技場、神社仏閣などが取り囲んで、温泉場が形成されていったわけです。草津温泉や加賀の山代温泉などはその典型的な例でしょう。

北陸の古湯、山代温泉では外湯のことを「総湯」と呼びます。この総湯を中心とした周囲の町並みを「湯の曲輪(がわ)」と称しています。現在の山代には湯町の中心に往時を復元して建て直された「総湯」「古総湯」の2軒の外湯があります。いずれも外湯の芸術品のような立派な造りですので、ぜひ足を運んでみてください。

このように、温泉場、温泉街の原点は、湯元から湯を引いた外湯、共同湯だったのです。外湯のある風景こそ、私たち日本人の「温泉の原風景」だったということです。

温泉と「川」と「海」

いま日本の「温泉の原風景」という言葉を使いましたが、山国・日本の典型的な温泉場の風景は、渓谷や山間を流れる川の両岸に開けた温泉場で、これが日本人にとっての「癒やしの原風景」といってもよいでしょう。

北海道の定山渓温泉、登別温泉、宮城県の鳴子温泉、福島県の飯坂温泉、群馬県の四万温泉、栃木県の塩原温泉、鬼怒川温泉、神奈川県の箱根温泉郷、湯河原温泉、静岡県の修善寺温泉、岐阜県の下呂温泉、石川県の山中温泉、兵庫県の城崎温泉、湯村温泉、岡山県の湯原温泉、奥津温泉、鳥取県の三朝温泉、島根県の玉造温泉、大分県の由布院温泉、熊本県の黒川温泉……。この他にも川の両岸に開けた有名温泉地はまだまだあります。

川の流れによって地層が露出し、そこから温泉の湯脈が得られたためです。道のなかった大昔、鹿や熊ばかりか狩人も川沿いや浅瀬の水の中を歩いたため、温泉と出合う機会も多かったのです。

狩人が仕留め損ねた手負いの鹿を追っていると、川岸で動かずに傷を癒やしているのを見て不思議に思ったところ、そこから温泉が湧き出ていた――。このような温泉発見譚はいくらでもあります。「鹿の湯」や「熊の湯」、「鶴の湯」などの名の由来のもとです。

また川岸の温泉は法師温泉やかつての塩原温泉をはじめ、「渡り廊下」という温泉建築の重要な構造をもたらしました。

日本は四方を海に囲まれた島国でもあります。海辺の温泉も日本人の癒やしの原風景と言えるでしょう。

静岡県の熱海温泉、和歌山県の白浜温泉、大分県の別府温泉などのような、海辺に開けた温泉場も、渓畔と同じように波で断崖や海岸が浸食されたため湯脈が露出されやすく、早くから温泉が発見された場所です。

とくに関西最大の温泉郷白浜温泉で、人気の湯崎の海岸、岩場の波打ち際に湧く野趣あふれるロケーションの野天風呂「崎の湯」は、7世紀半ばから8世紀早々にかけて斉明天皇、持統天皇、文武天皇が湯治されたことが、『日本書紀』や『続日本紀』、『万葉集』などに記されています。

このように川沿いや海沿いに開けた温泉場は、日本人と温泉の長いかかわりの歴史のなかで、「癒やしの原風景であった」といってもよいでしょう。その意味でも、とくに修善寺温泉、城崎温泉、三朝温泉などは私の好きな温泉の原風景です。

松田 忠徳 温泉学者、医学博士

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